和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年10月07日(月)

「遺言書」に家族への思い 戦争伝える先祖の手紙、和歌山

戦死した堀重晴さんの手紙、写真を手にする堀重孝さん(中央)と長女の原﨑容子さん(右)、孫の彩來さん=和歌山県上富田町市ノ瀬で
戦死した堀重晴さんの手紙、写真を手にする堀重孝さん(中央)と長女の原﨑容子さん(右)、孫の彩來さん=和歌山県上富田町市ノ瀬で
 和歌山県上富田町市ノ瀬の堀重孝さん(73)宅の仏壇には、太平洋戦争で亡くなった伯父の重晴さんが戦時中、家族に宛てた手紙が保管されている。「めでたく出征します」「戦死の知らせが来た時は、よくやったとほめてください」―。家族への思いを込めた遺言書は、重孝さんの子ども、孫の心にも届いている。


 重晴さんは1944(昭和19)年、中国南部で戦死している。24歳だった。重孝さんの父の兄に当たる。

 手紙は約20年前、家の建て替えの際に、当時の仏壇の「隠し扉」から見つかった。重晴さんの父(重孝さんの祖父)の宛名が書かれた封筒に収まっていた。差出人住所は「朝鮮」となっている。

 重孝さんは「男前の伯父さんがいたというのは聞いたことがあったが、もちろん会ったことはなく、手紙を見つけた時は驚いた」と振り返る。

 重孝さんの長女、原﨑容子さんも「写真で顔は見たことがあったけれど、手紙でその存在、戦争がリアルに感じられた」という。

 容子さんの次女で田辺中学校1年の彩來さん(12)は、昨年手紙の存在を知った。小学校で平和学習をしていたこともあり、重晴さんの弟妹にインタビューするなどして、夏休みの自由研究にまとめた。

 彩來さんは「一番衝撃を受けたのは、自分が死ぬと分かっていて、家族に伝えているところ。私なら逃げ出したくなる。手紙で戦争が遠い世界の話でなくなった。戦争のニュースを見るたび、怖く悲しい気持ちになる。平和を願い、ささやかでも自分にできることをしたい」と話した。

 封筒には遺髪、爪在中とある。遺髪と爪は墓に納められている。