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2024年12月22日(日)

「ようやく戦後迎えた」 戦死の兄、81年目に慰霊 和歌山県田辺市の田畑さん

「神通」の絵を手にする田畑富美子さん(和歌山県田辺市文里2丁目で)
「神通」の絵を手にする田畑富美子さん(和歌山県田辺市文里2丁目で)
 和歌山県田辺市文里2丁目の田畑富美子さん(93)は「今年ようやく戦後を迎えられた」と話す。第2次世界大戦中の1943(昭和18)年7月にソロモン諸島で沈没した軽巡洋艦「神通」の慰霊顕彰祭に出席できたからだ。戦死した兄、谷口勲さん(当時22歳)が乗艦していた。


 神通は戦時中、ソロモン諸島のガダルカナル島など最前線で戦い続けた歴戦の艦。コロンバンガラ島沖海戦で米軍の集中攻撃を受け、沈没した。艦名の由来は富山県を流れる神通川。慰霊顕彰祭は6年前から艦とゆかりのある同県高岡市の射水神社で営まれている。今年は7月15日にあった。

 田畑さんは5人きょうだいの長女。次男の勲さんは10歳上だった。「優しかった。私が初めての妹だったので、とてもかわいがってくれた。兄がどこへ行くにも付いて回っていた」と振り返る。母と2人、広島県呉市の軍港に出港を見送りに行ったこともあった。

 「なかなか会えなかったけれど、手紙のやりとりはした。最後に送られてきた手紙には、私が作ったスミレを題材にした俳句を詠んで、艦の仲間と一緒に泣いたといったことが書かれていたのを覚えている」

 戦死の知らせは小学校で聞いた。「母は『神の名前の付いた艦だからきっと帰ってくる』と言い続けていたので、とてもショックを受けていた」。遺骨や遺品などはない。その上、46(昭和21)年の南海地震による津波で、実家(田辺市新庄町)が流失したため、家族の写真なども残っていない。

 呉市を訪れるなどして神通や兄の手がかりを探す中、慰霊祭の存在を知った。慰霊祭は沈没後75年の2018年に始まったが、乗組員の情報は少なく、遺族の参列は田畑さんが初めてという。

 田畑さんは「これまで何もできていなかったので、お参りできて良かった。とても安心した。疲れもあったのだろうけど、帰ってきて2日間は本当によく眠った」と笑った。