和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年12月22日(日)

防災への誓い新た 紀伊半島大水害から13年で和歌山県那智勝浦・新宮

慰霊碑の前に犠牲になった人と同じ数の明かりを並べ、手を合わせる参列者(4日午前1時ごろ、和歌山県那智勝浦町で)
慰霊碑の前に犠牲になった人と同じ数の明かりを並べ、手を合わせる参列者(4日午前1時ごろ、和歌山県那智勝浦町で)
慰霊碑に向かって追悼の言葉を述べた後、手を合わせる田岡実千年市長(4日午前9時40分ごろ、和歌山県新宮市熊野川町で)
慰霊碑に向かって追悼の言葉を述べた後、手を合わせる田岡実千年市長(4日午前9時40分ごろ、和歌山県新宮市熊野川町で)
 紀伊半島大水害から13年を迎えた4日、死者・行方不明者が29人に上った和歌山県那智勝浦町や14人が犠牲になった新宮市で、犠牲者を追悼する行事があった。参列者は犠牲になった人たちに「見守ってください」「片時も忘れない」などと語りかけ、防災・減災に取り組むことを誓い合った。

 那智勝浦町井関にある「紀伊半島大水害記念公園」では午前1時から、那智谷大水害遺族会(岩渕三千生代表)が土石流が発生したとされる時間に合わせて犠牲者を追悼。10人ほどが訪れて慰霊碑の前に犠牲者と同じ数のキャンドルの形をした明かりを並べ、黙とうをしたり、手を合わせたりした。

 同町市野々小学校2年生の時に、同級生の中平景都さんを亡くした大学3年生の楠本小太朗さん(21)=那智勝浦町井関=は同級生2人と一緒に訪れた。「景都君とは一緒に家でテレビゲームをしたり、山や川で遊んだりした。今日はもし今一緒にいたら、お酒も飲んでいるのかなと話をしながら来た。元気な僕らを見ていてほしいと伝えた」と話した。

 おいが犠牲になり、その後に父も亡くした遺族会の岩渕代表(63)=三重県紀宝町=は「29の御霊に、これからも那智谷を見守ってくださいと黙とうした。13年たって町はきれいになったが、目をつぶると当時の惨状を思い出す。追悼をすることによって当時のことを思い出し、皆さんには自分の身は自分で守るという行動を取ってもらいたい」と呼びかけた。

 記念公園では午後1時半から町主催の慰霊祭が営まれた。

 新宮市では午前9時半から、同市熊野川町田長にある道の駅「瀞峡(どろきょう)街道熊野川」で、市の幹部職員や議員ら30人が参列し「紀伊半島大水害犠牲者追悼献花」を営んだ。黙とうをした後に慰霊碑の前で献花をし、田岡実千年市長が追悼の言葉を述べるなどして犠牲者の冥福を祈った。

 田岡市長は「当時は次々と厳しい状況の報告が入り、信じられない思いで対応に当たったことが思い出される。紀伊半島大水害を片時も忘れないということが防災につながる」と話した。

■犠牲者しのび黙とう 田辺市

 大水害で市民9人が犠牲となった田辺市では4日、市役所などで半旗が掲げられた。正午には黙とうを呼びかける庁内放送が流れ、職員らが静かに目を閉じた。

■紀伊半島大水害

 2011年9月3日、高知県東部に上陸した台風12号に伴う豪雨災害。台風の動きが遅かったために雨雲や湿った空気が長時間にわたって流れ込み、県南部の各地で総雨量が千ミリを超えるなど記録的な大雨となった。地滑りや土石流などが多発し、県全体の死者・行方不明者は61人に上った。