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【中部大学】心筋細胞のナノメートルスケールで秩序とカオスが共存する動的恒常性を発⾒ ─ 生物が自らの安定性や柔軟性を保つための仕組みを数学的・統計的に証明 ─
中部大学(愛知県春日井市)生命健康科学部生命医科学科の新谷正嶺准教授らの研究グループは、心臓を構成する心筋細胞がナノメートル(ナノは10億分の1)スケールの「カオス的なゆらぎ」を積極的に活用し、全体としては規則的なリズムを維持していることを明らかにした。この現象を、『ケイオーディック・ホメオダイナミクス(ゆらぎながら安定するカオス的秩序)』と名付けた。
1.発表のポイント
■⼼筋細胞内の筋⾁を構成する最⼩単位であるサルコメア(注1)は⾃律的に⾼頻度振動(HSOs)(注2)している。
今回、このHSOs が個々のサルコメアレベルでは「カオス的なゆらぎ」を伴うにもかかわらず、細胞全体としては
規則的で安定したリズムを保つことを、世界で初めて数学的・統計的に証明した。
■ 本研究では、この現象を秩序(周期性)とカオス(注3)(ゆらぎ)の共存によって維持される動的な恒常性、
『ケイオーディック・ホメオダイナミクス( Chaordic Homeodynamics)(注4)』という新概念として提唱した。
2.発表概要
中部大学生命健康科学部生命医科学科の新谷正嶺准教授らの研究グループは、心臓を構成する心筋細胞がナノメートル
(ナノは10億分の1)スケールの「カオス的なゆらぎ」を積極的に活用し、全体としては規則的なリズムを維持している
ことを明らかにした。この現象を、『ケイオーディック・ホメオダイナミクス(ゆらぎながら安定するカオス的秩序)』と名付けた。
研究代表者の新谷は、早稲田大学理工学術院先進理工学研究科博士後期過程大学院生だった2015年に心筋細胞の
サルコメア(図1)を赤外線レーザー照射で生理的範囲の温度(約38〜42℃)に温めることでこの自律的な高頻度
振動現象(HSOs)を世界で初めて発見した。
今回の研究はその現象の本質をさらに深く解析・実証したものである。詳しい内容は生物物理化学の国際的専門誌
『Biochemical and Biophysical Research Communications』に掲載された。
【研究の背景】
従来、⼼筋細胞の収縮と弛緩(しかん)は、主に細胞内のカルシウム濃度変化による規則
的なリズムとして説明されてきた。⼀⽅、新⾕らは2015 年、サルコメアを⾚外線レーザー
で温めると、カルシウム濃度に依存せず、毎秒約7回(約7 Hz)の⾼い頻度で⾃律的なサ
ルコメア振動現象(HSOs)が誘導されることを世界で初めて報告していた。さらに新⾕は
このHSOs 現象の性質のさらなる解析を⾏い、局所的にはカオス的で予測困難な振幅のゆらぎを
⽰しつつも、細胞全体としては安定したリズムを維持するというユニークな特徴を持ち、
⽣物の恒常性(ホメオスタシス)(注5)を考える上で⾮常に興味深い現象であることを
⽰していた(図2)。
【今回の研究成果】
今回、HSOs をより精密に解析するため、独⾃に開発した⾼精度なサルコメア⻑測定技術
(SL-nanometry 法)で測定したサルコメア⻑変化の時系列データ(位置推定精度約4 ナノ
メートルで、1 秒間に500 枚の時間分解能)に対して、⾮線形解析(リカレンスプロット解
析(注6)やリアプノフ指数解析(注7))を適⽤した。
その結果、HSOs は個々のサルコメアレベルでは正のリアプノフ指数を⽰し、カオス的な
振幅のゆらぎを持つことを明確に実証した。⼀⽅、細胞全体では規則的な収縮・弛緩リズム
が維持されており、この「カオスと秩序が共存し、ゆらぎを利⽤して安定性を動的に保つ」
という現象を、『ケイオーディック・ホメオダイナミクス』という新概念として提唱した。
また、統計的な検証から、これが単なるノイズや偶然ではなく、細胞⾃⾝が意図的にカオ
スを利⽤する仕組みであることも明らかにした(図3)。
【意義と今後の展開】
今回の研究は、⽣物が⾃らの安定性や柔軟性を保つために、適度な「カオス的なゆらぎ」
を積極的に活⽤していることを実証した点で、⽣物物理学・⽣理学において画期的な発⾒で
ある。
今後、⼼疾患の超早期診断技術や新規治療法の開発などの医療応⽤につながる可能性が
⾼い。また、⽣体内の他の臓器や組織にも同様の仕組みが存在する可能性が⽰唆され、⽣物
の普遍的な制御メカニズムとして幅広い展開が期待される。
⾻格筋線維およびサルコメア構造の模式図。左では筋線維(筋細胞)内に多数の筋原線維が
含まれ、それらが繰り返しサルコメアを形成している様⼦を⽰す。中央から右の拡⼤図では、
筋節を構成する太いミオシンフィラメントと細いアクチンフィラメントが⽰され、ミオシ
ン頭部がアクチンと結合・解離を繰り返すことで筋収縮が⽣じるメカニズムが描かれている。
筋節⻑変動の時系列データ取得から相空間再構成に⾄る流れの模式図。左︓収縮弛緩を繰り
返すサルコメア構造の概略と、計測されたサルコメア⻑(SL)の変動波形。中央︓取得した
時系列データの各時点での値をプロットし、段階的に解析を⾏う過程を⽰す。右︓同時系列
を遅延座標空間へ再構成した例として、時間遅延を加味した変数間の関係を3 次元軌道(⾚
線)で可視化している。これによりサルコメア⻑変動に含まれる⾮線形ダイナミクスや周期・
カオス特性などを評価できる。
上段左︓グレーのラインは個々の測定データ、⾚線はその平均波形で、周期的な全体拍動が観察される。
中段左︓ある個体の⾼周波成分(HFC)波形の⼀例で、ほぼ⼀定の周期を⽰す。
下段左︓再帰プロットにより、時系列データ内の周期的かつ複雑な再帰構造が可視化されている。
上段右︓オリジナル(⾚破線)とAAFT 疑似データ(⻘棒)を⽐較したリアプノフ指数のヒストグラム。
オリジナルは正のリアプノフ指数を⽰し、カオス的特徴が⽰唆される。
下段右︓棒グラフはオリジナル(⾚点)とAAFT(⻘)、FT(オレンジ)の疑似データにつ
いてリアプノフ指数を⽐較したもので、オリジナルの値が統計的に有意に⾼いことを⽰す。
これらの結果から、筋節⻑変動には周期性とカオスが共存する可能性が⽰唆される。
3.論⽂の情報
雑誌名︓Biochemical and Biophysical Research Communications
論⽂タイトル︓Chaordic Homeodynamics: The Periodic Chaos Phenomenon Observed
at the Sarcomere Level and Its Physiological Significance
著者︓Seine A. Shintani
DOI: 10.1016/j.bbrc.2025.151712
URL: https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0006291X25004267
4.⽤語解説
注1 サルコメア(筋節)
筋⾁を構成する最⼩の収縮単位。カルシウムイオン(Ca2+)の存在下で、筋原線維を構成
する主要たんぱく質の⼀つであるミオシンがアデノシン三リン酸(ATP)をエネルギー源と
してアクチンをたぐり寄せるように引き込み、筋⾁を収縮させる。カルシウムイオン濃度が
低下すると、アクチンはミオシンに結合できなくなり、筋⾁は弛緩する。
注2 ⾃律的な⾼頻度振動(HSOs: Hyperthermal Sarcomeric Oscillations、熱筋節振動)
外部からの刺激やカルシウム濃度変化が無くても、サルコメア⾃⾝が収縮・弛緩を繰り返
す⾃励的な振動状態。⼼筋細胞を⽣理的範囲の温度(約38〜42℃)に温めると誘発される。
カルシウム濃度変動とは独⽴して起こり、カルシウム変動がある場合でも安定した周期を
保つ特徴を持つ。
注3 カオス
外⾒上は無秩序で予測不能に⾒えるが、実際には特定の法則や規則に従って⽣じる現象。
ごくわずかな初期条件の違いが、その後の挙動を劇的に変える性質を持ち、天気予報や⽣体
現象など、様々な科学分野で研究されている。
注4 ケイオーディック・ホメオダイナミクス(Chaordic Homeodynamics)
秩序(Order)とカオス(Chaos)が共存する動的な恒常性を⽰す概念。個々のサルコメ
アレベルではカオス的な振幅のゆらぎを持ちながらも、細胞全体としては規則的で安定し
た収縮・弛緩リズムが維持されるような、⽣物が持つ柔軟な制御メカニズムを指す。
注5 恒常性(ホメオスタシス)
⽣体が環境の変化に応じて、体内の環境(体温、pH、カルシウム濃度など)を⼀定に保
とうとする働きや性質のことをいう。
注6 リカレンスプロット解析(Recurrence Plot Analysis)
複雑な時系列データに対して、その時間的な繰り返し(再帰性)や周期性を視覚的に⽰し、
⾮線形性やカオス的特性を定量化するための⼿法。⽣体信号などの複雑な現象の解析に⽤
いられる。
注7 リアプノフ指数解析(Lyapunov Exponent Analysis)
初期条件のわずかな差が時間とともにどれほど急速に拡⼤するかを⽰す指標で、正の値
を⽰す場合は系がカオス的であることを意味する。⽣物現象のゆらぎやカオス性を定量的
に評価するために⽤いられる。
研究内容についてのお問い合わせ先
新谷正嶺(中部大学 生命健康科学部 生命医科学科 准教授)
Eメール:s-shintani[at]fsc.chubu.ac.jp ※アドレスの[at]は@に変更してください。
電話:0568-51-9180(研究室直通)
▼本件に関する問い合わせ先
中部大学 入試・広報センター(広報課)
TEL:0568-51-7638
メール:chubu-info@fsc.chubu.ac.jp
【リリース発信元】 大学プレスセンター https://www.u-presscenter.jp/
プレスリリース詳細へ https://digitalpr.jp/r/107720