和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年10月11日(金)

【動画】「片時も忘れることなく」 紀伊半島大水害から12年、記憶を受け継ぎ防災へ

紀伊半島大水害で犠牲になった同級生の名前が刻まれた石碑に向かい、手を合わせる若者たち(4日午前1時過ぎ、和歌山県那智勝浦町で)
紀伊半島大水害で犠牲になった同級生の名前が刻まれた石碑に向かい、手を合わせる若者たち(4日午前1時過ぎ、和歌山県那智勝浦町で)
慰霊碑の前で追悼の言葉を述べる田岡実千年市長(4日、和歌山県新宮市で)
慰霊碑の前で追悼の言葉を述べる田岡実千年市長(4日、和歌山県新宮市で)
 紀伊半島大水害から12年を迎えた4日、死者・行方不明者が和歌山県内の市町村で最多の29人に上った那智勝浦町や、14人が犠牲になった新宮市で、遺族や行政関係者らが犠牲者を追悼した。今年は13回忌の節目に当たるが「何年たっても、つらい気持ちは変わらない」と遺族。災害の記憶を継承し、防災・減災に取り組むことを誓い合った。


 那智勝浦町では、那智谷大水害遺族会(岩渕三千生代表)が土石流が発生した時間帯に合わせ、同町井関にある「紀伊半島大水害記念公園」で犠牲者を追悼。午前1時から、犠牲者と同じ数のキャンドルの形をした発光ダイオード(LED)の明かりを慰霊碑の前に並べた。

 同町市野々小学校2年生の時に、幼なじみで同級生の中平景都君を亡くした大学2年生の貝岐好香さん(19)=和歌山市=は同級生と一緒に訪れ、慰霊碑に向かって手を合わせた。「同級生は7人で、景都君はすごく明るくてムードメーカーだった。自分たちが今年、元気で20歳になれるのも景都君が見守ってくれたおかげ。将来は地元で働きたいと思って大学で観光の勉強をしているが、観光客も地元の人も守れるように防災士の資格も取って役に立ちたい」と話した。

 おいが犠牲になり、その後に父も亡くした遺族会の岩渕代表(62)=三重県紀宝町=は「何年たっても、何回忌になっても区切りはない。追悼行事を続けることで少しでも思い出してもらいたいし、後世に伝え、災害への意識を強く持ってほしい」と話していた。

 午後1時半からは町主催の慰霊祭が記念公園で営まれ、堀順一郎町長や遺族らが献花をした。

 新宮市では午前9時半から、熊野川町田長の道の駅「瀞峡(どろきょう)街道熊野川」で「紀伊半島大水害犠牲者追悼献花」があり、市の幹部職員や議員ら約30人が参列。黙とうをした後に慰霊碑の前で献花をし、犠牲者の冥福を祈った。

 最後に田岡実千年市長が追悼の言葉を述べ「亡くなられた方々の無念の思いと遺族の皆さまの深い悲しみを思うと、哀惜の念に堪えません。紀伊半島大水害を片時も忘れることなく、市民の皆さまが安心・安全に暮らすことができるまちを築いてまいります」と決意した。

■半旗掲揚し黙とう 田辺市

 田辺市は4日、市役所などで半旗を掲げた。正午には庁内放送を流し、職員らが黙とう。大水害で犠牲となった市民9人の冥福を祈った。

【紀伊半島大水害】

 2011年9月3日、高知県東部に上陸した台風12号による豪雨災害。台風の動きが遅かったために雨雲や湿った空気が長時間にわたって流れ込んだ影響で、県南部の各地で総雨量が千ミリを超え、地滑りや土石流などが多発。県全体で死者56人、行方不明者5人など甚大な被害となった。