和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年11月21日(木)

【動画】夜空に大輪咲く 鹿島神社の奉納花火祭、和歌山県みなべ町

みなべの夜空を彩った奉納花火(1日夜、和歌山県みなべ町で)=長時間露光
みなべの夜空を彩った奉納花火(1日夜、和歌山県みなべ町で)=長時間露光
鹿島神社でおはらいを受ける、ちょうちんを持った子どもたち(1日、和歌山県みなべ町埴田で)
鹿島神社でおはらいを受ける、ちょうちんを持った子どもたち(1日、和歌山県みなべ町埴田で)
 和歌山県みなべ町埴田、鹿島神社の奉納花火祭が1日、近くの南部海岸であった。個人や企業、団体などから奉納された花火が夜空に大輪の花を咲かせ、多くの見物人を楽しませた。


 1707(宝永4)年の大地震で津波が押し寄せた際、沖にある鹿島から怪火が現れて津波を東西に導いたことで、南部では被害が少なかったと伝えられる。その鹿島大明神の霊験に感謝し、翌年から海辺でたいまつやちょうちんを奉納するようになり、その後、花火の打ち上げが始まったとされる。太平洋戦争の頃には中止されたが、現在まで神事として続けられている。

 この日は朝に潮くみ神事や神殿式が営まれた。夕方から、氏子である九つの区(南道、千鹿浦、北道、栄町、東吉田、芝崎、埴田、片町、新町)の子どもや大人たちが、ちょうちんを持って各区を出発。「ちょい、さんじゃい」とかけ声を上げながら神社まで練り歩いた。「津波の教訓に」と各区で引き継がれており、かけ声は「潮位、三丈(約10メートル)」か「津波が押し寄せてくるので逃げよ」という意味なのだという。

 神社でおはらいを受けた後、各区で海岸に集まり、ちょうちんを立てた。

 その後、早打ちや仕掛け花火約2千発が約1時間にわたって打ち上げられた。馬場には夜店が並び、多くの家族連れらでにぎわった。