和歌山県文化財に志磨神社本殿など5件指定
和歌山県教育委員会は16日の定例会で、和歌山市中之島の志磨神社本殿など5件を県指定文化財にした。同文化財は今回分を合わせて585件になった。
志磨神社本殿は、各所に鳥獣などの彫刻を配し、全体に漆や絵具で塗装を施した極めて華やかな造りで、工匠の技術的水準の高さを示している。
1585(天正13)年に豊臣秀吉による紀州攻めに伴う戦乱で社殿を失ったが、1628(寛永5)年に再興され、78(延宝6)年に現在の本殿が建設された。もともとは国津大明神と呼ばれていたが、88(元禄元)年に紀伊藩の命を受け、志磨神社と称するようになり、藩の関与が強まったという。1945(昭和20)年の和歌山大空襲の際も戦火を免れている。
今回指定されたその他の文化財は、同市鷹匠町、感應寺の七面堂本殿・拝殿、同市加太の向井家に伝わった古文書、橋本市谷奥深にある光明寺の木造大日如来坐像、九度山町九度山の槇尾山明神社本殿に安置されてきた木造高野明神立像。
志磨神社本殿は、各所に鳥獣などの彫刻を配し、全体に漆や絵具で塗装を施した極めて華やかな造りで、工匠の技術的水準の高さを示している。
1585(天正13)年に豊臣秀吉による紀州攻めに伴う戦乱で社殿を失ったが、1628(寛永5)年に再興され、78(延宝6)年に現在の本殿が建設された。もともとは国津大明神と呼ばれていたが、88(元禄元)年に紀伊藩の命を受け、志磨神社と称するようになり、藩の関与が強まったという。1945(昭和20)年の和歌山大空襲の際も戦火を免れている。
今回指定されたその他の文化財は、同市鷹匠町、感應寺の七面堂本殿・拝殿、同市加太の向井家に伝わった古文書、橋本市谷奥深にある光明寺の木造大日如来坐像、九度山町九度山の槇尾山明神社本殿に安置されてきた木造高野明神立像。