和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年11月23日(土)

【紀南探検隊】パート9(7)橋の名は。/上富田町、白浜町の郵便橋

郵便橋近くのポストの上にある小舟に乗って郵便物を運ぶ少年のオブジェ(上富田町岩崎で)
郵便橋近くのポストの上にある小舟に乗って郵便物を運ぶ少年のオブジェ(上富田町岩崎で)
紀南探検隊「郵便ポスト」地図
紀南探検隊「郵便ポスト」地図
 橋の名前は通常、橋が架かっている土地や川の名前が付けられることが多い。では、和歌山県上富田町と白浜町の町境、富田川に架かる「郵便橋」の名はどこから来たのか。以前から気になっていたが、郵便事業が全国に展開されて150年を迎えた節目に調査した。

 高速道路が南紀田辺インターチェンジ(IC)からすさみ南ICまで延伸して以降、郵便橋を通る機会はすっかり減った。久しぶりに橋を渡ってみた。

 橋の欄干には「〒」のマークがあるから、郵便事業と関わりがあるのは間違いない。しかし、近くに郵便局もポストも見当たらない。ところが、よく見ると南側にも北側にも欄干にポストのモニュメントがある。

 県によると、明治時代に郵便制度が始まったころ、富田川の各所には、いくつかの渡し船があり、郵便専用の県営渡し船もあったという。やがて、渡し船は廃止され、代わって架けられた板橋が「郵便小橋」と言われ、郵便橋の由来となった。

 周囲をさらに歩き回ると、橋の北側にポストを発見。ポストの上には「郵便橋のいわれ」と書かれた小舟に乗って郵便物を運ぶ少年のオブジェが載っていた。

 150年の時を超え、郵便橋はその名の通り、郵便制度創生期の様子を伝えている。(喜田義人)
=おわり