和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年12月23日(月)

「田辺県」の貴重な資料 150年前の氏子札、市歴民館で展示

田辺県の時代に発行された氏子札の表面(右)。生国や神社名、父親の名、性別、本人の氏名、出生年月日が記されている。左は氏子札の裏面。神官の氏名と札の発行年月日が記されている
田辺県の時代に発行された氏子札の表面(右)。生国や神社名、父親の名、性別、本人の氏名、出生年月日が記されている。左は氏子札の裏面。神官の氏名と札の発行年月日が記されている
 和歌山県田辺市東陽の市歴史民俗資料館に「田邉縣」(田辺県)と記された木製の氏子札が展示されている。同市上秋津の男性(71)が、市教育委員会に寄贈した。「田辺県」は150年前に誕生して4カ月で廃止された。この氏子札は、そのわずかな期間に発行されている。市教委は「田辺県時代の貴重な資料で珍しい」としている。

 和歌山県は紀伊国などと呼ばれたが江戸時代、徳川家康に味方した浅野幸長が治めて紀州藩が誕生した。その後、徳川頼宣が藩主となり、田辺と新宮に支藩が置かれた。

 明治維新による1869(明治2)年の版籍奉還で紀州藩は和歌山、田辺、新宮の3藩に分けられた。さらに71(明治4)年の廃藩置県で3藩は和歌山県、田辺県、新宮県となったがすぐに廃止され、合併して新しい和歌山県が誕生した。市教委によると田辺県は同年7月29日に置かれ、11月22日に廃止された。

 氏子札は71年7月4日の太政官布告により、住民の生国、姓名、住所、出生年月日、父の名を戸長(いまの町・村長)に届け出、戸長から神社へ達し、神社から交付するよう定められた。身分証明書と守り札を兼ねたような札だが、2年ほどで制度が中止され発行されなくなった。

 寄贈された札は決められた様式通りに作られており、縦90・5ミリ、横59・5ミリ、厚さ6・1ミリ。寄贈した男性から数えて6代前の田中由枩(由松)さんのもので、近くにある川上神社が発行した。

 表面には「紀伊国田邉縣牟婁郡上秋津村」「上秋津村川上神社氏子」「田中三七男」「田中由枩」「享和二年壬戌十二月廿日出生」(1802年12月20日出生)と生国、神社名、氏子表示、父の名、性別、氏名、出生年月日が記されている。裏面には神官氏名印の「祠官 中田允明」と発行年月日「明治四年辛未十一月十五日」が記されている。

 男性によると、この札は古い自宅の神棚にあった。30年ほど前、市教委の職員に見てもらったことがあり、貴重な資料だと分かっていたという。自宅を新築後も札は大事に保管していたが、東日本大震災の様子を見て寄贈を思い立ったそうだ。

 市教委の関係者は「7月4日の太政官布告からわずかな期間で氏子札が発給されている。田辺県が明治維新政府の政策をただちに実行に移していたことがこの資料から読み取れる」という。

 男性は「今年は県が発足して150年の節目の年。この機会にぜひ見ていただけたら」と話している。