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2024年12月19日(木)

昭和初期の学校日誌を冊子に みなべ町教委「戦争知る貴重な資料」

清川尋常高等小学校の学校日誌を現代語に訳してまとめた冊子「学校日誌が語る昭和初期『日本は そして郷土は』」。手前左は学校日誌
清川尋常高等小学校の学校日誌を現代語に訳してまとめた冊子「学校日誌が語る昭和初期『日本は そして郷土は』」。手前左は学校日誌
 和歌山県みなべ町の清川小学校が清川尋常高等小学校や清川国民学校だった1930年代初めから40年代初めにかけて書き留められた「学校日誌」が、現代語に訳され冊子にまとめられた。日本が戦争へと進んでいく様子などが記されており、町教育委員会は「貴重な資料。子どもたちに読んでもらいたい」と話している。


 冊子は「学校日誌が語る昭和初期『日本は そして郷土は』~和歌山県みなべ町・千三百七十五日の記録~」というタイトルでA4判、244ページ。

 基となる学校日誌は、1932(昭和7)~36(昭和11)年の5年間の2学期分と37(昭和12)~41(昭和16)年の5年間の1学期分の2冊。学校沿革史は永久保存の必要があるが、学校日誌の保存期間は5年間となっていることもあり、これだけが残っていたという。

 町文化財審議会委員長の上村浩平さん(64)が、教諭として清川小学校で勤務していた30年ほど前にこの日誌の存在を知り、それ以降も学校で保管されてきた。他の学校で古い日誌が残っていることは見たことも聞いたこともなく「貴重な資料なので残し、さまざまな人に見てもらいたい」と60歳で退職後、4年半かけて現代語に訳し、冊子にまとめた。田辺市の紀南文化財研究会近世史部会員である真砂さかゑさんにも協力してもらった。

 日誌は「朝会記事」「重要記事」「掲示記事」「其の他の記事」の各項目に分けられている。計1375日分あり、校長だけでなく教諭も記したとみられる。

 「其の他の記事」の項目には、春に桜の花をめで、秋には稲や柿などの実り具合に一喜一憂するほか、マツタケ狩りをして腹いっぱいになるまで食べたといった様子などが記されており、田舎で暮らす人々の息づかいを感じることができる。

 その一方で満州事変(1931年)から日中戦争(1937年)へと突き進んでいく時代でもあり、その様子が日誌でも見て取れる。

 上村さんは「出征する人を見送る行事を小学校の校庭でしている。酒を飲み、万歳をして送っている。子どもたちに大きな影響を与えたのではないかと思う」と話す。

 冊子には日誌に書かれていた文章だけでなく、主な出来事の説明も収録し、写真を添えている。子どもたちにも理解してもらえるように工夫したという。

 上村さんによると、日中戦争が始まって以降、みなべ町だけでも戦死者は800人いるが、その9割は太平洋戦争(41~45年)によるものだという。「どこかで立ち止まっていたら、死ぬ人が少なくなったのではないか。過去は変えることはできないが、未来はつくることができる。清川と同じような出来事は日本のどこにでもあったはず。教訓として役立ててもらいたい」と語る。

 冊子は町内の図書館や各公民館、各小中学校と高校に置くほか、田辺市内の市立図書館や県立紀南図書館に贈るという。