慰霊碑を友好の架け橋に 串本、設計者の業績学ぶ
和歌山県串本町の紀伊大島に建立されているトルコ軍艦遭難慰霊碑を設計した建築技師、松田茂樹の業績を学ぶフィールドワークが20日、慰霊碑周辺であった。「熊野古道を世界遺産に登録するプロジェクト準備会」(小野田真弓運営委員代表)主催、「紀の国わかやま文化祭2021」の一環。ヘリテージマネジャー(地域歴史文化遺産保全活用推進員)の高垣晴夫さん(59)が講師を務め「串本とトルコ・メルシン市に同じ慰霊碑があることで、人と人の気持ちをつなげている」と話した。
慰霊碑は、トルコ軍艦エルトゥールル号の遭難事故(1890年9月16日)で犠牲になった乗組員587人を弔うため、1937(昭和12)年に建立された。角すい形で高さ12メートル。5年ごとに追悼式典が開かれ、日本とトルコを結ぶ友好のシンボルにもなっている。
それまで小さな碑はあったが、トルコ側から「費用を負担するので慰霊碑を建ててほしい」という要請があり、県が設計・施工を請け負った。
設計した松田は当時県の技師で、県庁の建築にコーディネーターとして関わったほか、戦後は、空襲で焼失した和歌山城再建計画の立案に重要な役割を果たしたという。
高垣さんは松田の設計思想について「耐震・耐火を重視した安全な建物を追求し、当時最先端だった鉄筋コンクリートの構造を積極的に採用した」と説明。
72年にトルコのメルシン市が自国の海難記念碑を建てる際には松田が所蔵していた慰霊碑の設計図が送られ、同一の碑が建てられた。これが両国の友好を一段と深めることにつながっているという。
高垣さんは「両国の友好をつないでいくために、松田が同じ慰霊碑を建てるという仕掛けをしたのではないか」と推察する。
フィールドワークには14人が参加。和歌山市の芝田浩子さん(61)は「串本町出身なので慰霊碑は何度も訪れているし、城郭に興味があるので、和歌山城の再建に松田さんが関わっていたことも知っていた。しかし、松田さんがこの慰霊碑を設計したことは初めて知った」と話した。
慰霊碑は、トルコ軍艦エルトゥールル号の遭難事故(1890年9月16日)で犠牲になった乗組員587人を弔うため、1937(昭和12)年に建立された。角すい形で高さ12メートル。5年ごとに追悼式典が開かれ、日本とトルコを結ぶ友好のシンボルにもなっている。
それまで小さな碑はあったが、トルコ側から「費用を負担するので慰霊碑を建ててほしい」という要請があり、県が設計・施工を請け負った。
設計した松田は当時県の技師で、県庁の建築にコーディネーターとして関わったほか、戦後は、空襲で焼失した和歌山城再建計画の立案に重要な役割を果たしたという。
高垣さんは松田の設計思想について「耐震・耐火を重視した安全な建物を追求し、当時最先端だった鉄筋コンクリートの構造を積極的に採用した」と説明。
72年にトルコのメルシン市が自国の海難記念碑を建てる際には松田が所蔵していた慰霊碑の設計図が送られ、同一の碑が建てられた。これが両国の友好を一段と深めることにつながっているという。
高垣さんは「両国の友好をつないでいくために、松田が同じ慰霊碑を建てるという仕掛けをしたのではないか」と推察する。
フィールドワークには14人が参加。和歌山市の芝田浩子さん(61)は「串本町出身なので慰霊碑は何度も訪れているし、城郭に興味があるので、和歌山城の再建に松田さんが関わっていたことも知っていた。しかし、松田さんがこの慰霊碑を設計したことは初めて知った」と話した。