和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年12月17日(火)

南高梅の母樹が里帰り 誕生の地の畑に移植、みなべ町

里帰り式典で、南高梅の母樹のそばに立つ紀州高田果園の高田智史社長(25日、和歌山県みなべ町晩稲で)
里帰り式典で、南高梅の母樹のそばに立つ紀州高田果園の高田智史社長(25日、和歌山県みなべ町晩稲で)
 全国的な梅のブランドとして地域の基幹産業を築いた「南高梅」の母樹(樹齢約120年)が、和歌山県みなべ町気佐藤のJA紀州アグリセンターみなべから、誕生の地、同町晩稲の畑に「里帰り」した。関係者が25日、集まって式典を開き、母樹や先人に感謝するとともに、さらなる産地発展への思いを強めた。


 南高梅は1902年、晩稲の高田貞楠さんが、実生苗(種子から生育した苗)の中から優良種を発見した。それを母樹「高田梅」として育て、同町筋の小山貞一さんがその穂木を譲り受けて、接ぎ木苗を育成した。

 戦後、この地域に適した梅の優良品種を統一するため、梅優良母樹選定委員会が設けられ、委員長だった南部高校の竹中勝太郎教諭が生徒と協力して選抜したのがこの高田梅だった。65年、名前は南部高との関わりもあって「南高」、登録者を高田さんとして、当時の農林省に名称登録された。

 大果で種が小さく、果肉が多い。梅干し、梅酒、梅シロップなど幅広い加工に向き、品質、味が良いのが特徴。

 母樹は78年、貞楠さんの三男、孝一さんから農協の梅部会に贈られ、JAアグリセンターみなべの玄関前に植えられた。今回、JAの加工施設増改築に伴って移植が必要となり、孝一さんの長男、高田智史さん(63)が営む「紀州高田果園」の畑に里帰りすることになった。近くにはきょうだいや孫の木も植わっている。

 里帰り式典には、JA紀州常務や県農林水産部長、みなべと田辺の梅干協同組合の代表など関係者が出席。貞一さんの三男で、同町筋の「小山農園」社長、小山豊宏さん(69)が経過報告し「老木であるし、生まれ育った地に里帰りし、余生を過ごすことが最良ではないかと考え、JA、高田さんと話し、里帰りに至った。南高梅はすべてこの一本から広まったもの。そのことを再確認してほしい」と語った。

 母樹は町指定文化財でもあり、JA紀州みなべいなみ梅部会から、智史さんに町指定文化財譲渡書も手渡された。智史さんは母樹に向かって「長い間ご苦労さまでした。ふるさとへお帰りなさい。ありがとうございます」とお礼の言葉を掛けた。