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2024年11月16日(土)

江戸中期の梵鐘など3件 田辺市教委が文化財指定

江戸中期に鋳造されたと考えられている千光寺の釣り鐘(和歌山県田辺市上秋津で)
江戸中期に鋳造されたと考えられている千光寺の釣り鐘(和歌山県田辺市上秋津で)
主な建物を残している三栖組大庄屋眞砂家屋敷跡(和歌山県田辺市中三栖で)
主な建物を残している三栖組大庄屋眞砂家屋敷跡(和歌山県田辺市中三栖で)
紀南地方では珍しい成り立ちの木守の風穴(和歌山県田辺市木守で)=写真はいずれも田辺市教委提供
紀南地方では珍しい成り立ちの木守の風穴(和歌山県田辺市木守で)=写真はいずれも田辺市教委提供
 和歌山県の田辺市教育委員会は、千光寺(上秋津)の梵鐘(ぼんしょう=釣り鐘)、三栖組大庄屋眞砂家屋敷跡(中三栖)、木守の風穴(木守)の3件を新たに市文化財に指定した。これにより、市文化財は123件となった。

 市教委によると、釣り鐘は江戸中期の1711年に鋳造業者の組合「京都三条釜座」で鋳造されたと考えられる。三条釜座の釣り鐘自体は全国に多くあるが、元禄期の鋳造技術は特に優れている。この鐘は細部に至るまで精巧に仕上げられ、その技術の特徴がよく表れている。

 また、当地方の釣り鐘は、日中戦争と太平洋戦争の際に金属回収でその多くが失われており、近世にまで歴史をさかのぼれる数少ない作例としても貴重だという。

 三栖組大庄屋眞砂家屋敷跡は、熊野古道中辺路(潮見峠越)が通る交通の要衝に立地する。1862年建築の主屋、1785年築の土蔵のほか、庭園の遺構もある。飛び地に江戸末期の建築と考えられる薬師堂もあり、邸内全体に古い格式を漂わせている。

 江戸時代、安藤氏が治めた田辺領内では秋津や芳養などでも大庄屋(村役人の一つ)が任命されているが、大庄屋の屋敷はほとんど失われており、当時の景観を良好に残す遺構は極めて貴重だという。

 木守の風穴は、赤土森山(標高871メートル)の中腹にある。縦60センチ、横50センチ、奥行き6メートル程度の横穴。1968年に南紀生物同好会や県文化財研究会の研究者が現地調査で発見した。

 風穴の多くは岩が堆積してできるが、木守の風穴は岩が浸食してできた形式で、紀南地方では非常に珍しいという。大災害をもたらす深層崩壊などの発生メカニズムの研究においても貴重な資料となる。

 風穴入り口の風速は夏季、冬季とも最大2メートル以上を計測しており、全国的にみても強い値を示している。