和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年12月19日(木)

江戸時代の水車復活へ 高祖父ゆかり、観光拠点に

水車の復活に向けて動きだした井澗洸介さん(右)と姉の山下桃子さん=和歌山県すさみ町周参見で
水車の復活に向けて動きだした井澗洸介さん(右)と姉の山下桃子さん=和歌山県すさみ町周参見で
井澗潔氏が晩年に書き残したメモ。「水車の音が思い出される」とある
井澗潔氏が晩年に書き残したメモ。「水車の音が思い出される」とある
 和歌山県すさみ町周参見で高祖父が線香の製造に使っていた水車を復活させようと、上富田町で暮らす男性が、インターネット上で寄付を募るクラウドファンディング(CF)を始めた。熊野古道大辺路沿いに位置し、文化財的な価値もあるとして、地域の観光拠点にすることも目指す。こうした取り組みを地元は歓迎し、構想の実現を期待している。

■観光拠点目指す

 男性は上富田町岩田、車用品製造業の井澗洸介さん(31)。姉で県職員(育休中)の山下桃子さん(36)も協力している。

 水車小屋(178・69平方メートル)は太間川沿いにある。すさみ町史などによると、江戸末期の元治元(1864)年に建てられた。井澗さんの高祖父・和三郎氏が明治43(1910)年8月に買い受けた。のりの性質を持つタブノキの葉とスギの葉を水車の動力で製粉し、それを練って線香を作っていた。

 水車は井澗さんの曽祖父・良太郎氏が1970年代まで使っていた。現在は著しく老朽化しているが、内部には使用時の面影が残っている。

 水車は直径約5メートル。その動力で16基のきねを動かしたほか、精米にも使った。小学生まで小屋のそばにあった家で暮らした井澗さんの父・和良さん(65)は「一定のリズムで、きねが臼をたたく音をよく覚えている。良太郎の次男で私の父に当たる潔は〝バタコ〟(オート三輪)で線香の原材料を買い付けに行っていた」と振り返る。

 「存在は知っていた」程度の水車を井澗さんが強く意識するきっかけになったのは昨年のこと。「熊野古道大辺路刈り開き隊」から問い合わせを受けて実際に訪れ、その大きさに衝撃を受けたという。

 潔氏が「水の流れがこいしい」「水車の音が思い出される」と晩年に書き残していたメモが見つかったことも大きかった。郷里に対する亡き祖父の思いに触れ、井澗さんは「復活させなければ、という思いが強くなった」、山下さんも「修復に向けて背中を押してもらった」と話す。

 CFの目標額は100万円で、11月30日まで受け付けている。返礼は1万円からで、15種類。21日正午現在で、寄付は32人からの計72万円。県がふるさと納税と認定した事業で、所定の手続きを踏めば税控除、還付が受けられる。サイトはhttps://motion-gallery.net/projects/susami_waterwheel

 水車専門の大工が見積もったところ、水車本体の修復費だけでも1千万円を超えるという。井澗さんは「わかやま産業振興財団」から補助を受け、水車復活に向けた取り組みを自社の目玉事業にしようと考えている。収益を上げるには早くても数年かかるとみているが、少しずつでも投資して拠点化を目指す。

 井澗さんらの相談を受けて7月に現地を確認した県文化遺産課は、水車の規模が大きく、元々の姿を残していることもあって「価値がある」と評価している。

■地元も期待

 熊野古道大辺路沿いでのプロジェクトの始動に、観光関係者も期待を寄せる。

 すさみ町観光協会の中嶋淳会長(62)は「水車小屋は地域の歴史に触れられる貴重な存在。拠点ができれば古道歩きだけでなくサイクリングでの活用などさまざまな可能性が生まれる」。大辺路刈り開き隊の上野一夫隊長(72)=串本町=も「消えかかった場所が生き返るという話であり、後世へ残すためにも協力していきたい」と話している。