和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年11月27日(水)

細胞内の生体分子間のコミュニケーションの仕組みの解明 GRB2とSOS1の役割を分子レベルで明らかに

1 概要
 私たちの体が正常に働くためには、細胞同士がうまくコミュニケーションを取る必要があります。さらに、細胞内の活動はDNAが司るため、外部からの信号を正確に受け取り、それをDNAに伝えることが不可欠です(図1)。今回の研究では、この重要なプロセスを支えるヒトのタンパク質「GRB2」と「SOS1」の役割に焦点を当てました。GRB2とSOS1は、他の細胞からの情報を受けて、特定の細胞が成長したり、自分を守ったりするための「メッセージ」を効果的に伝えるために欠かせない存在です。一方で、これまではGRB2やSOS1がどのようにして外部からのメッセージ信号を効率的に伝えているのかは分かっていませんでした。
 東京都立大学大学院理学研究科の館野圭太(当時大学院生)、菅澤はるか(研究員)、池谷鉄兵准教授、伊藤隆教授、理化学研究所生命機能科学研究センターの美川務専任研究員らは、この研究によって、GRB2がSOS1とどのように結びつき、体内の様々なプロセスを調整しているのかを分子のレベルで解明することに成功しました。
 本研究グループは、核磁気共鳴スペクトル法(NMR)(注1)という手法を用いて、GRB2とSOS1を原子レベルで観察しました。また、NMRデータからタンパク質間の結合の強さを導き出す新たな計算プログラムを開発することに成功しました。これにより、これまで詳細が分からなかったGRB2とSOS1のタンパク質間相互作用を原子レベルで解明することに成功しました。また近年、液液相分離(LLPS)(注2)という現象が、細胞の様々な制御に重要な役割を担っていると考えられていますが、今回の研究では、GRB2とSOS1が関わる液液相分離形成機構のモデルも提案しました。
 この発見は、細胞の中での分子間の情報伝達機構を理解するための大きな一歩であり、また、病気の治療法を見つけるための新たな手がかりとなることも期待できます。
 本研究成果は、2024年9月12日付で科学雑誌『Chemical Science』に掲載されました。

【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202409126357-O1-GwE77My6
2 ポイント
・細胞内シグナル伝達におけるGRB2とSOS1のタンパク質間相互作用を詳細に観察。
・GRB2の2つのドメイン(注3)が、SOS1のGRB2結合部位に対して異なる結合親和性を持つことを発見。
・この異なる結合親和性が、分子間の架橋をうながし、これが液液相分離(LLPS)の形成につながる可能性を示唆。
・NMRと新規データ解析法を用いることで、GRB2全長のこれまで知られていなかった物理特性を解明。

3 研究の背景
 私たちの体は、外部からの様々な情報に反応して、その状況に応じた適切な行動を取ることで正常に機能しています。例えば、ホルモンや成長因子などの内分泌物質が、体外や体内からのメッセージであるシグナルとして特定の細胞に届くことで、細胞はそれに反応して、分裂や成長、修復などのプロセスを進めます。このような外部からのシグナルを受け取り、それを細胞内部でDNAまで正確に伝える過程が「細胞内シグナル伝達」です。
 このシグナル伝達の上流過程で、GRB2やSOS1というタンパク質が中心的な役割を果たします。GRB2は細胞膜にある受容体からシグナルを受け取り、それをSOS1に伝えます。SOS1はそのシグナルをRASという分子に伝え、最終的に細胞核に存在するDNAにまで情報を伝達します(図1)。これにより、細胞はその情報に応じた反応を引き起こすのです。しかし、これまでの研究では、GRB2とSOS1がどのようにタンパク質間の相互作用を起こし、外部からのシグナルがDNAにどのように伝わるのか、その詳細は十分に理解されていませんでした。また、近年、GRB2とSOS1は液液相分離という現象を起こすことで、シグナル伝達の制御をより精密に行っている可能性が示唆されています。しかし、GRB2とSOS1のような分子がどのようにして集合と離散を起こし、巨視的な液滴の形成と消失を起こしているかについては、分子・原子レベルでほとんど明らかになっていませんでした。研究が進んでいなかった理由の1つには、GRB2とSOS1は、通常のタンパク質よりも柔らかな領域を広く持つために、構造生物学研究で最も多く採用されている、X線結晶構造解析やクライオ電子顕微鏡といった解析法の適応が難しかったことも挙げられます。このGRB2とSOS1のタンパク質間相互作用の理解が進むことで、病気の原因解明や新しい治療法の開発が期待されています。今回の研究は、この未解明のプロセスを分子レベルで解明し、細胞内シグナル伝達の全体像をより明らかにすることを目指しています。

4 研究の詳細
 この研究では、GRB2とSOS1のタンパク質間相互作用を核磁気共鳴スペクトル法(NMR)という化学物質の分析に用いられる手法を応用して詳細に調べました。NMRは、GRB2やSOS1のような運動性が大きく柔らかな領域を持つタンパク質においても、これらの分子の構造や運動性の大きさと速度を解析できます。また、本研究では、NMRデータから分子間の結合の強さを、最も可能性のある結合モデルを選択して、値を推定する新しい計算手法の開発にも成功しました。
 この新規計算手法とNMR計測を組み合わせて、GRB2のSOS1への相互作用の様式や強さを詳細に解析しました(図2A)。GRB2は、ドメインと呼ばれる機能部位が3つ(NSH3、SH2、CSH3)つながった構成をしています。これまでの研究から、2つのSH3ドメイン(NSH3とCSH3)がSOS1との相互作用に関わることは知られており、この2つはSOS1に対してほぼ同一に関与すると考えられていました。しかし、今回の解析により、NSH3のSOS1への結合親和性はCSH3と比較して10〜20倍も強いことが明らかになったことから、SH3ドメインが異なる役割を持つことが示唆されました。また、この2つのSH3ドメインの運動性も大きく異なっていることが分かり、ここからSOS1との相互作用の様式もドメイン間でかなり異なることが分かりました。この発見は、細胞内でのGRB2とSOS1によるシグナル伝達機構が、これまでの理解よりもはるかに複雑で、シグナルの強さや種類に大きく影響を与える可能性があることを示唆しています。
 特に、近年、GRB2とSOS1が液液相分離を引き起こすことで、細胞内シグナル伝達を微調整している可能性が示唆されています。そこで、GRB2とSOS1の複雑な相互作用様式と液液相分離との関係にも注目しました(図2B)。本研究の結果から推測されるGRB2とSOS1の相互作用モデル(LLPS形成機構モデル)は次の通りです。(1)GRB2が単独で存在する際は、GRB2のCSH3ドメインは大きく揺らいでいます。2つのSH3ドメインがSOS1の結合領域と相互作用すると、CSH3ドメインの位置が大きく変化し、GRB2の2量体化が促進されます。(2)GRB2の2つのSH3ドメインのSOS1への結合親和性は10〜20倍異なるため、SOS1の1分子が持つ複数の結合部位に対して結合ステップが異なり、結果的にGRB2が複数のSOS1を架橋する構造を取ります。これにより複数の分子が一か所に集合し、全体として液液相分離を引き起こすと考えられます。
  今回の研究成果は、細胞が外部からの信号をどのようにして受け取り、その情報を効率的にDNAに伝えるかという基本的なメカニズムを理解する上で、重要な一歩を提供するものです 

【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202409126357-O2-6v4i83s1
5 研究の意義と波及効果
 本研究により、GRB2とSOS1の相互作用の詳細なメカニズムを明らかにすることで、細胞内シグナル伝達機構への理解が深まりました。特に、GRB2が液液相分離を介してシグナル伝達の強度を調節する可能性が示唆されており、この発見は細胞内シグナル伝達の異常によって起こるがんなどの病気の新しい治療法の開発につながる可能性があります。また、NMRの活用により、従来の手法では観察できなかった動的なタンパク質相互作用を高解像度で観察できることが示され、今後の生物物理学的研究にも大きな影響を与えると期待されます。

6 論文情報
(タイトル) Different molecular recognition by three domains of the full-length GRB2 to SOS1 proline-rich motifs and EGFR phosphorylated sites
(著者名)Keita Tateno,Takami Ando,Maako Tabata,Haruka Sugasawa,Toshifumi Hayashi,Sangya Yu,Sayeesh PM,Kohsuke Inomata,Tsutomu Mikawa,YutakaIto*,and TeppeiIkeya* *Corresponding authors
(雑誌名)Chemical Science
(DOI)10.1039/D4SC02656J

7 研究助成
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 CREST 「細胞内現象の時空間ダイナミクス」研究領域 研究課題名「インセルNMR計測による細胞内蛋白質の構造・動態・機能解明」(課題番号:JPMJCR21E5、研究代表者:西田紀貴)、日本学術振興会(JSPS)「科学研究費助成事業(課題番号:JP15K06979、JP19H05645、JP15H01645、JP16H00847、 JP17H05887、JP19H05773、JP26102538、JP25120003、JP16H00779、JP21K06114)」、島津科学技術振興財団、精密測定技術振興財団による研究資金支援と、文部科学省「先端研究基盤共用促進事業 NMRプラットフォーム(課題番号:JPMXS0450100021)理化学研究所 共同利用NMR装置」の利用により実施されました。

8 補足説明
(注1)核磁気共鳴スペクトル法(NMR):
強力な磁場に物質を置いた状態で、物質にラジオ波を当てると、物質の磁気的な状態を反映した信号を得ることができる。この手法を生体分子(タンパク質やDNA)に応用することで、分子の立体構造や、溶液内での運動性、分子間の相互作用の情報などを得ることができる。

(注2)液液相分離(LLPS):
濃度の異なる2種類の水溶液が水と油のように分離する現象。巨視的には、液滴という球状のかたまりが観察される。近年、この現象が細胞内のあらゆるところで起こっていることが分かってきており、液滴内で生体分子の濃度分布を大きく変えることで細胞内の様々な現象を調節していると考えられている。

(注3)(タンパク質の)ドメイン:
多くのタンパク質は、1分子の中にも、立体的な構造がコンパクトにまとまって、1つの独立した機能を持つ領域が複数ある。この構造のまとまりの1つをドメインと呼ぶ。

 



プレスリリース詳細へ https://kyodonewsprwire.jp/release/202409126357
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