和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年11月25日(月)

山本玄峰 伝えたい 100枚超の紙芝居作る、和歌山県上富田の早稲田さん

紙芝居「山本玄峰96年の生涯~渡る世間にこころあり」と、作者の早稲田早苗さん
紙芝居「山本玄峰96年の生涯~渡る世間にこころあり」と、作者の早稲田早苗さん
 和歌山県上富田町朝来の早稲田早苗さん(76)が、田辺市本宮町出身の高僧、山本玄峰(1866~1961)のことを知ってもらおうと、玄峰の生涯を描いた100枚を超える紙芝居を作った。9、10月には一部を上富田文化会館ロビーで展示する予定。

 玄峰は湯の峰温泉にあった旅館芳野屋で生まれ、捨て子になっていたのを、地元の夫婦に拾われて育てられた。筏師(いかだし)として働いたが、19歳で失明。流浪の旅を続け、四国遍路で倒れたのを雪渓寺(高知市)の住職に助けられ、25歳で出家した。全国を巡って修行を続け、臨済宗妙心寺派の官長を務めた。

 1945年、終戦の詔書として玉音放送で流された「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言を進言し、新憲法における天皇の地位について「象徴」と示唆したとされる。

 本宮町湯峯には「玄峰塔」があり、地元有志の「玄峰老師頌徳会」が毎年、命日に合わせて法要を営んでいる。早稲田さんは5年前、会の人たちに会って話を聞くなどした。玄峰が紀州の偉人でありながら、広く知られていないと感じ、紙芝居を作って少しでも伝えていきたいと考えた。

 本を読んで理解を深め、まとめたノートは3冊になった。玄峰が住職を務めた龍澤寺(静岡県)や、臨済宗妙心寺派の大本山妙心寺(京都市)なども訪ねた。高校生の時は美術部だったといい、絵も水彩画で自分で描いた。

 「紀州生まれの禅の高僧 山本玄峰96年の生涯~渡る世間にこころあり」というタイトル。A3サイズくらいの大きさの紙に110枚描いた。着物の模様などには和紙も貼っている。あと20枚くらい描きたいと思っているという。

 早稲田さんは「知れば知るほど奥行きがあり、困難を切り開いて生きてきた人間的な魅力がある。亡くなった人ではあるが、私たちの財産で、若い人も学ぶ部分があると思う。皆さんに触れていただきたい」と話している。