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2024年12月22日(日)

南方熊楠の日記を翻刻し刊行 「知の巨人」の素顔知って、和歌山・田辺市の顕彰館

「南方熊楠日記」
「南方熊楠日記」
 和歌山県田辺市中屋敷町の南方熊楠顕彰館は、世界的な博物学者・南方熊楠(1867~1941)の昭和6、7(1931、32)年の日記を翻刻した「南方熊楠日記」=写真=を刊行した。一生を通じて日記を書き続けた熊楠。南方熊楠日記の編集担当者で、田辺・南方熊楠翻字の会のメンバーの一人、大和茂之さんは「関心のある日付や項目から読み進めることで、熊楠の著作や書簡などとは違った視点で、素顔の熊楠を読み取っていただけるものと期待している」と話している。


 熊楠の日記は、1885~1913年の日記が八坂書房(東京都、1987~89年)から出版されているが、それ以外の大正、昭和期の日記は部分的に紹介されたことがあるだけで、出版されないままだった。

 熊楠の日記を読むためには、癖のある直筆を活字にする翻刻の作業が必要。大正期の日記については、熊楠の長女・文枝さんの夫で、日大教授だった岡本清造さんによって書き継がれた翻刻原稿が遺(のこ)されていた。残りの年の日記は2000年ごろから、地元「田辺」と「東京」「熊楠関西」の三つの「翻字の会」によって翻刻作業が進められ、ほぼ全ての年の読み取りが終わるところまで来た。

 このような翻刻成果を踏まえ、顕彰館は「田辺」の翻字の会が読んだ昭和6、7年の日記から「南方熊楠資料叢書」として刊行することを企画した。

 熊楠は、日記を付けることをほとんど習慣化・義務化しており、ほぼ毎日欠かすことなく、日々の出来事を淡々と記録していた。同書に収録された昭和6、7年には、熊楠は晩年の時期に差し掛かっていたが、昭和4(1929)年に昭和天皇へのご進講を終えた後でもあり、多くの訪問者や生物の観察、論文執筆、手紙のやりとりなどの活発な活動を展開していた。日記には、このような活動の記録や起床してから寝るまでの出来事、周囲の人々との交流の様子などが記録されている。

 例えば、1931年の日記(熊楠64歳)には、11月5日に「5日に今井三子が来訪。今井は13日まで南方邸に滞在して近郊で採集。9日にともに神島に渡り、一同で写真を撮る」などとある。今井三子(1900~76)は北海道大学の菌類学者。32年の日記(熊楠65歳)には、11月8日に「田辺駅が開業。鉄道を利用して小畔四郎が日帰りで来訪する」とある。小畔四郎(1875~1951)は日本郵船の社員で、その傍らに取り組んだ植物研究のことで熊楠と交流があった。

 昨年10、11月には顕彰館で、南方熊楠日記の刊行を記念し、企画展Ⅱ「昭和6、7年の日記から読み取れる南方熊楠の生物研究」が開かれた。

 南方熊楠日記はA5判、320ページ、定価3300円。顕彰館で販売しており、購入方法など問い合わせは顕彰館(0739・26・9909)へ。