和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年11月22日(金)

秋の褒章 和歌山県内は8人が受章

黄綬褒章 原和男さん
黄綬褒章 原和男さん
藍綬褒章 猪野佳優さん
藍綬褒章 猪野佳優さん
藍綬褒章 金谷善夫さん
藍綬褒章 金谷善夫さん
藍綬褒章 山根平一さん
藍綬褒章 山根平一さん
 政府は2日付で秋の褒章受章者を発表した。和歌山県関係者は8人。業務に精励した人に贈られる黄綬褒章が2人、公衆の利益に貢献した人に贈られる藍綬褒章は6人。発令は3日。印南町以南の受章者は次の皆さん。

◇…黄綬褒章…◇

 原和男(78)業務精励(農業)田辺市上秋津

◇…藍綬褒章…◇

 猪野佳優(65)自動車運転者教育功績(県指定自動車教習所協会会長)みなべ町芝

 金谷善夫(71)更生保護功績(保護司)田辺市高雄1丁目

 嶋田二郎(69)調停委員功績(調停委員)新宮市井の沢

 山根平一(85)酒類業振興功績(元県小売酒販組合連合会会長)田辺市神子浜1丁目

■黄綬褒章 原和男さん(はらかずお)

 ミカンの産地で農業一筋60年を迎えた。温州ミカン、中晩柑、梅の複合経営スタイルを仲間と一緒に築き上げ、地区の活性化にも尽力。「農業は今、どこも厳しい状況だが、この地では夢を持って取り組んでいる」と力を込める。

 南部高校を卒業してすぐに就農。目指したのは宮沢賢治の作品に出てくる心の中の理想郷「イーハトーブ」。「幸せが大事。安定した生活を送れる農家にしたかった」

 1970年代に地区の仲間で同好会を結成し、リスクを減らすため梅中心にせずに複合経営を堅持。中晩柑は、労力分散のために少量の多品種栽培にして、一年を通して収穫できる産地をつくり上げた。

 地域づくりの団体や施設、産直店の設立や、運営に尽力。地区挙げての取り組みで「みんなが心一つに理想の農村を夢見て励んでいきたい」と話す。今回の受章に「大好きな田舎で大好きな農家が続けられている。よき仲間、よき家族に恵まれたからこそ」。

■藍綬褒章 猪野佳優さん(いのよしまさ)

 慶応義塾大学を卒業し、父親が経営していた「紀南自動車学校」(現みなべ自動車学校・みなべ町芝)に入社し、父親が亡くなった1983年から社長を務めている。

 「教習所はサービス業」と言い「生徒第一の目線で運営を心掛けている」という。

 一方、教習所の公益性も重視。「地域の交通安全センターとしての役割を担いたい」と、春と秋の全国交通安全運動には一般向けの交通安全教室などを開いている。

 県内に15ある自動車教習所の全てが加盟する県指定自動車教習所協会で、副会長を延べ16年務めた後、2013年から会長を務めている。

 協会は、70歳以上のドライバーが運転免許を更新する際に必要な高齢者講習に力を入れており、協会加盟の全教習所が実施している。「高齢者講習はさらに重要性が増す」

 09年に警察庁長官から自動車教習功労者表彰を受けた。

 休日は家族で過ごすことを大切にしている。

■藍綬褒章 金谷善夫さん(かなやよしお)

 1989年から30年、保護司として活動。田辺保護司会の副会長も務め、犯罪や非行をした人に保護観察や生活環境の調整をするなど、更生や自立を手助けしている。

 元中学校教諭で、江住中学校の校長を最後に退職。青少年センターで働くなど、青少年の健全育成に関わった期間も長かった。

 非行をした少年や罪を犯して保護観察の対象となった人と多く接し、生活の相談に乗ったり、働く場所を紹介したりすることもある。

 担当した人が再び犯罪をするなど、うまくいかないことも多いが、かつて担当した人からいまだに年賀状をもらったり、更生した少年が自立して同じ境遇の人を雇用する側に回ったりするなど喜びも多い。「自立と立ち直りを手助けしていくのが保護司の使命。75歳の定年まで続けて、社会に奉仕できたら」と語る。

 更生保護について理解を深め、社会全体での支援を目指す啓発活動にも注力している。

■藍綬褒章 山根平一さん(やまねひらかず)

 1960年に酒店を創業。田辺小売酒販組合理事長を15年、小売酒販組合の県連合会長を2年務めた。「目の前の仕事を頑張ってきただけ。受章は青天のへきれき」と話す。

 創業当初は知名度がなく、一日中営業して回り、お得意さんを開拓した。高度成長期にはうなぎ上りに売り上げが増えたが、酒類販売の「自由化」で新規参入が相次ぐと、昔ながらの酒店は次々姿を消した。厳しい業界を生き残れたのは「人と人とのつながり。若いころからの営業が生きている」と感謝する。

 社会活動にも尽力。全国に先駆けて、未成年の飲酒防止や飲酒運転防止のキャンペーンに加わった。同業者から「酒を飲むなと言うのか」と批判もあったが、説得した。

 現在店舗の一部は長女が経営する居酒屋となった。夕方早くから常連が集まる地域の交流拠点。「体が動く限り、仕事は続けたい」。居酒屋にもたびたび顔を出し、人の輪をつないでいる。