和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年11月25日(月)

「厳しさも思いやりも」 稗田一穂さんを回想、娘2人が来田 

父・稗田一穂さんの作品を鑑賞する長女の由季さん(右)と次女の麻琴さん=田辺市中辺路町近露の熊野古道なかへち美術館で
父・稗田一穂さんの作品を鑑賞する長女の由季さん(右)と次女の麻琴さん=田辺市中辺路町近露の熊野古道なかへち美術館で
 田辺市新屋敷町出身の日本画家・稗田一穂さん(1920~2021)の双子の長女由季さんと次女麻琴さん(ともに東京都世田谷区、67歳)が、市内にある二つの市立美術館で稗田さんの作品展が開かれているのに合わせ田辺市を訪れた。作品展について「若い頃から晩年までの作品が並んでいる。その経過を感じてもらえるといい」と話している。

 2人は紀伊民報の取材に応じ、父・稗田さんについて「厳しかったが、思いやりのある人でもあった」と振り返った。

 アトリエは世田谷区の自宅内にあるが、2人は子どもの頃から用事がない限りは近づかなかった。廊下を歩く時も、なるべく音を立てないように気を配った。麻琴さんは「父は自分にも厳しかった。機嫌が悪いと『(創作が)うまくいっていないんだな』というのが分かった。晩年は少しだけ優しくなった」と笑う。

 故郷については「小学校の夏休みには和歌山で過ごした。海で泳いだ」という話を聞いたことがあった。特に還暦を迎えるころからは熊野の地を題材にした作品が多く「年齢を重ねるにつれて、郷里を意識していたのかもしれない」と想像した。

 紀伊民報が2019年までの約30年間、元日号の表紙に作品を載せたことに関しては「うれしかったようで、親族やきょうだいに新聞を送っていた」と話した。

 稗田さんは生前、あるインタビューで「描いた後の自分の作品に関心がない」と話していた。これについて麻琴さんは「いつも新しいものをと考えていた」という。「それがオリジナリティーにつながると思ったのだろうし、そんな思いがあったから描くことを続けられたのだと思う」と話した。

 稗田さんは3歳ごろまで市内で暮らし、大阪市へ転出した。東京美術学校(現在の東京芸術大学)卒業。火災で焼けた法隆寺の金堂壁画再現模写に参加した後、母校の教授に就任。文化功労者表彰を受け、県文化賞、田辺市文化賞も受賞している。

 由季さんと麻琴さんは今年、稗田さんの作品16点を市に寄贈し、善行者として表彰されている。

 作品展は来年1月15日まで。市立美術館と熊野古道なかへち美術館が会場。