和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年12月22日(日)

【動画】3年ぶり大使館から参列 串本町のトルコ軍艦遭難追悼式典

慰霊碑に花輪をささげ、敬礼する在日トルコ大使館のハビブ・イゼット・ゾールオール武官(和歌山県串本町樫野で)
慰霊碑に花輪をささげ、敬礼する在日トルコ大使館のハビブ・イゼット・ゾールオール武官(和歌山県串本町樫野で)
黙とうするエメル・デリノズ・テキン1等参事官(左から3人目)と田嶋勝正町長(同4人目)ら
黙とうするエメル・デリノズ・テキン1等参事官(左から3人目)と田嶋勝正町長(同4人目)ら
 和歌山県串本町樫野沖でトルコ軍艦エルトゥールル号が遭難してから132年を迎えた16日、町は同町樫野にある慰霊碑前で追悼式典を営んだ。町によると、コロナ禍のため今年も例年より参列者数は少ないものの、3年ぶりに在日トルコ大使館から来賓が訪れて参列。田嶋勝正町長ら関係者約50人が犠牲者の冥福を祈るとともに、日ト友好の原点となった歴史を確認した。


 エ号は日本との平等条約締結の促進と小松宮彰仁親王のトルコ訪問に対する返礼などの目的で、オスマン・トルコ帝国皇帝が1889年7月、オスマン・パシャを特使とする親善使節団として日本に派遣。90年6月に横浜港に到着し、明治天皇に謁見(えっけん)した。帰国のために同年9月15日に横浜港を出港したが、翌16日に台風に遭遇して同町樫野沖の「船甲羅(ふなごうら)」という岩礁に激突。オスマン・パシャら587人が犠牲になったが、大島島民の懸命な救助活動で69人が助かった。このことが、日本とトルコの国際交流の礎となった。

 この事故からちょうど132年を迎えたこの日は、来賓として在日トルコ大使館のエメル・デリノズ・テキン1等参事官とハビブ・イゼット・ゾールオール武官、在名古屋トルコ共和国総領事館のウムット・リュトフィ・オズデュルク総領事らを招いて式典を開催。地元からは田嶋町長夫妻や町議の他、教育委員会、樫野など地元区長、元大島村長の子孫、町トルコ文化協会、南紀串本観光協会などの関係者が参列した。

 最初に皆で黙とうをささげた後、両国の国歌の演奏やコーランを朗読する礼拝があった。

 田嶋町長は式辞で「新型コロナ感染症の拡大状況により、規模縮小を余儀なくされる状況が続いていたが、本日、両国を交え挙行できることに感謝申し上げたい。私たち串本町民はこの地に眠る殉難将士の御霊をお守りし、大島島民が示した利他の精神を継承し、両国の友好の原点となった歴史を風化させることなく、『日ト友好の懸け橋の町』として両国の友好関係の一助となるよう尽力することを、ここにお誓い申し上げる」と述べた。

 テキン1等参事官も「130年以上前に串本町民の方々をはじめ、日本の皆さまがわれわれの先祖にしてくださったことに対して、今日においてもなおトルコ国民として感謝の気持ちを持ち続けている。串本の慰霊碑とトルコ記念館は、勇者たちの物語を後世に語り継いでいく上で大変重要な役割を果たし続ける」などと追悼の辞を述べた。

 参列者は慰霊碑に花輪などをささげるなどし、最後に町議会の鈴木幸夫議長が「私たちは587人の殉難将士の御霊が眠るこの地を守り、互いを思いやる心が育んだ両国の絆を次の世代に語り継いでいくことをお約束する」と呼びかけた。

 式典終了後、テキン1等参事官は報道陣の取材に対し「コロナ禍が、われわれが毎年大切にしていた追悼式典にも影響を及ぼした。一部オンラインで開催したこともあったが、やはり本日ここに自分で来て、串本の皆さんと心を寄せ合いながら追悼式典で祈りをささげることができたことに感謝したい」と話していた。