和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年12月19日(木)

銅製錬所の焼き窯跡か 町誌にもない遺構確認、白浜町久木

石積み構造の焼き窯跡を調べる町職員とひきがわ歴史クラブの会員(和歌山県白浜町久木で)
石積み構造の焼き窯跡を調べる町職員とひきがわ歴史クラブの会員(和歌山県白浜町久木で)
山中で見つかった坑道口
山中で見つかった坑道口
 和歌山県白浜町久木の山中で、銅の製錬に使われた焼き窯跡とみられる遺構が確認された。近くからは坑道口や鉱滓(こうさい)も見つかった。この製錬所は町誌などの史料には登場せず、古老らの言い伝えを基に、町と地元の有志団体が調査した。町教育委員会は「実態はまだはっきりしないが貴重な遺構。今後、使い方や年代なども特定していきたい」と話している。


 見つかった遺構は石積み構造で、長さ約15メートル、幅約3メートル。その範囲に、大小三つずつの焼き窯が配置されており、大きなものが一つ埋まっている。焼き窯の下部には空気穴とみられる穴が1、2個開いている。鉱山から採掘した原石を蒸し焼きにして、鉱物と不純物を分けていく最初の工程に使われたと考えられている。

 20メートルほど下には別の施設があったと推測できる平地もあり、燃料となる炭を焼いた窯も残っている。製錬過程で出る鉱滓は斜面のあちらこちらから見つかった。坑道口は遺構から100メートル以上離れた所にあり、横穴が続いている。

 この製錬所の存在については、地元の有志団体「ひきがわ歴史クラブ」の事務局長を務める冷水喜久夫さんが地元の古老から、かつて〝タタラ場〟で遊んでいたなどという証言を得ていた。今年3月、クラブ会員が久木地区の山中を捜索して石積みを見つけ、町に連絡した。

 涼しくなるのを待って、今月9日に町職員とクラブ員計7人が石積みの確認と周辺の調査を行った。坑道内部の調査は危険なため行わなかった。

 町教委によると、2018年に那智勝浦町の町指定史跡になった尻剣谷製錬所跡の焼き窯に形状が似ており、このほかに類例がないか探すという。尻剣谷製錬所跡は江戸時代を中心に一部が近代まで使われた可能性があるとしている。

 歴史クラブの尾崎彰宏会長は「言い伝えを基に遺構が見つかってよかった。今後、町が実態を明らかにしてくれると思うが、楽しみにしている。周辺の見どころも含めて何か地域のPRにつながれば」と話している。