和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年12月04日(水)

中世の山城跡新たに3カ所 古座川流域で確認

16世紀に造られたとみられる川口城の跡。手前の広い所に曲輪があり、後世に神社の境内として利用された。周囲には土塁があり、写真奥側には堀切と切岸の跡が残っている(16日、和歌山県古座川町川口で)
16世紀に造られたとみられる川口城の跡。手前の広い所に曲輪があり、後世に神社の境内として利用された。周囲には土塁があり、写真奥側には堀切と切岸の跡が残っている(16日、和歌山県古座川町川口で)
 和歌山県内で中世城館跡の全数調査をしている和歌山城郭調査研究会(白石博則代表)は16日、古座川流域で新たに3カ所、戦国時代の山城跡が見つかったと発表した。古座川流域では3年前の調査などで山城跡が既に3カ所分かっている。白石代表(61)は「戦国時代にも何らかの形で川を通して山と海がつながっていて、その流通に山城が関わっていたと考えることができるのでは」と話している。


 見つかったのは古座川町鶴川の鶴川城跡と同町川口の川口城跡、同町高池と串本町中湊にまたがる稲荷山城跡。鶴川と川口は、出身地の古座川町で中世史を研究していた故山口登志夫さんが残した資料を基に、稲荷山は地元の人の連絡を基に昨年6月~今年1月に調べて分かった。3カ所とも紀伊続風土記など、これまで参考にしたどの文献にも載っていないという。

 研究会によると鶴川城跡は河口から9キロ上流の古座川と鶴川が合流する地点から約600メートル南にある。隣接する高富地区との街道を押さえる立地から、海浜部の村との地域間紛争に対応した山城とみている。

 川口城跡は河口から約5キロ上流の古座川沿いにある。ここは古座川と古座川支流の小川との合流地点で、川を利用した流通に関わる城館とみている。後世に、山城の遺構に神社が建てられたため一帯は改変されているが、堀切や曲輪の切岸、土塁の跡とみられる部分が残っている。

 稲荷山城跡は河口から1・3キロ上流の通称稲荷山にあり、河口と太平洋を見下ろせる。地域の水軍領主・高河原氏の山城跡とみられている。近くにある、同じ高河原氏による古城山城よりも古い時期の山城と考えられるという。

 この三つの山城はいずれも16世紀に築かれ、規模は小さい。鶴川城は地元の武士が築いたとみられるが、村同士の紛争があった可能性もあるという。川口城は誰が築いたのか不明という。

 古座川流域ではこれまでに古座川町三尾川の中村城跡、串本町古座の古城山城跡、同町西向の小山城跡が確認されている。

 古座川、串本両町には中世の文献が少なく、詳しい歴史は分かっていない。しかし、山城の存在が分かることで、そこに領主である武士がいて武士同士の争いがあったことや、村同士の紛争があったということが分かるという。

 また、古座川は中世から川を利用した流通があったと推定され、材木や檜皮(ひわだ)などの山林資源を管理するためにも、川沿いに山城が築かれることがあったと考えられるという。

 白石代表は「さらなる追究が必要だが、新たに城跡が見つかったことでおぼろげながら地域の歴史が見えてきたのでは。地域の皆さんも城跡と地域史に関心を持っていただければ」と話している。