「災間」意識し行動を 東日本大震災の被災者が和歌山県田辺市で講演
和歌山県田辺市新屋敷町の紀南文化会館で19日、同市高雄中学校の生徒(388人)らを対象にした防災についての講演会があり、東北大学大学院生の雁部那由多さんが小学5年生の時に東日本大震災で被災した経験を語った。雁部さんは未来に災害が起こる可能性がある地域を造語「未災地」とし、「未災地のみんなへ」と生徒らに防災の大切さを伝えた。
雁部さんは2011年3月11日、宮城県で被災。学校に避難し、一度は3階に逃げるも昇降口に靴を取りに行った際に津波に足を取られた。幸い、学校内に流されたため助かったが、学校に向かって逃げてきていた大人が手を伸ばし、助けを求める姿に「自分も死ぬと思って、手を伸ばし返さなかった」と振り返った。翌日には、折り重なって亡くなっている姿を見つけ、「本当に人なのか」「ごめんなさい」と思ったといい、「今日まで13年間生きてしまっているという思い」と当時から今日までの心境を伝えた。
また、「家族を亡くした人、家が全部なくなった人もいれば、無事だった人もいて、同じクラス内でも服や文房具、お弁当など格差がどんどん見えていった」という。「数カ月かけ、先生の気遣いや努力もあり、完全ではないが関係性を取り戻し、格差が見えなくなる生活になっていった」と話した。
最後には「『災間を生きる』という言葉を皆さんに送る。災害と災害の間にできることを考えて。語りを語りのまま終わらせずに、ぜひ行動に移して。行動の先に未来がある」と呼びかけた。
3年で生徒会長の佐藤龍之介さんは「自然災害の怖さは実際に体験した人しか分からないと思うが、目の前で人が亡くなった時のことを聞いて胸が苦しくなり、話だけでも恐ろしかった。最近も巨大地震の注意があり、備蓄品を見直して水を購入したり川遊びをやめたりしたが、今後も遠方に出かける際は避難所を把握し、周りと共有するなどの防災に取り組みたいと思う」と話した。
雁部さんは2011年3月11日、宮城県で被災。学校に避難し、一度は3階に逃げるも昇降口に靴を取りに行った際に津波に足を取られた。幸い、学校内に流されたため助かったが、学校に向かって逃げてきていた大人が手を伸ばし、助けを求める姿に「自分も死ぬと思って、手を伸ばし返さなかった」と振り返った。翌日には、折り重なって亡くなっている姿を見つけ、「本当に人なのか」「ごめんなさい」と思ったといい、「今日まで13年間生きてしまっているという思い」と当時から今日までの心境を伝えた。
また、「家族を亡くした人、家が全部なくなった人もいれば、無事だった人もいて、同じクラス内でも服や文房具、お弁当など格差がどんどん見えていった」という。「数カ月かけ、先生の気遣いや努力もあり、完全ではないが関係性を取り戻し、格差が見えなくなる生活になっていった」と話した。
最後には「『災間を生きる』という言葉を皆さんに送る。災害と災害の間にできることを考えて。語りを語りのまま終わらせずに、ぜひ行動に移して。行動の先に未来がある」と呼びかけた。
3年で生徒会長の佐藤龍之介さんは「自然災害の怖さは実際に体験した人しか分からないと思うが、目の前で人が亡くなった時のことを聞いて胸が苦しくなり、話だけでも恐ろしかった。最近も巨大地震の注意があり、備蓄品を見直して水を購入したり川遊びをやめたりしたが、今後も遠方に出かける際は避難所を把握し、周りと共有するなどの防災に取り組みたいと思う」と話した。