和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年12月23日(月)

地下の海軍無線送信所跡公開 串本に残る戦争遺跡

海軍無線送信所跡の入り口前で仲江孝丸さん(右)から説明を聞く参加者=和歌山県串本町串本で
海軍無線送信所跡の入り口前で仲江孝丸さん(右)から説明を聞く参加者=和歌山県串本町串本で
送信機が置かれていた地下の部屋
送信機が置かれていた地下の部屋
 和歌山県串本町串本の植松地区に残る、太平洋戦争中に使われた海軍無線送信所の跡地が、14日に公開された。町内を中心に64人が訪れ、地下に残された戦争遺跡に触れた。

 町教育委員会と地元有志でつくる実行委員会が5年に1回、町内に残る戦争遺跡を巡るツアーを開いている。今年は終戦から75年の節目だが、新型コロナウイルスの感染防止のため、保存状態が比較的良い海軍無線送信所の1カ所に絞った。

 海軍無線送信所は、敵の潜水艦の居場所を探る航空機と連絡を取り合うための無線局で地下にあり、爆弾の投下にも耐えられる頑強な造りとなっている。入り口が3カ所、通気口が7カ所ある。

 地下の空間は長さ約20メートル、幅約4メートルと細長く、送信機や発電機を置く部屋に分かれている。内部は普段見ることができない。

 案内した実行委監事の仲江孝丸さん(62)によると、明治時代、沖を航行する船を見張るため潮岬に望楼所が造られたが、大正時代にその役割をするのが無線通信になった。レーダー基地ができ、同時に造られたのが送信所だった。戦後、古くなると「危険なので撤去を」という意見が出たが、かつての戦争の時代を物語る遺跡として残すことになった。

 新型コロナ対策のため、地下に入るのは1回につき10人程度に制限、8回に分けた。参加者は、電灯を頼りに恐る恐る進んでいた。

 同町有田の小学5年生、中谷和香さん(10)は祖母の保美さん(73)と一緒に訪れ「地下にこんな広い空間があるのに驚いた。暗かったので、出口が分からなくなるのではと怖かった」。8年前に同町潮岬に移住してきたという上柳博さん(68)は「5年前のツアーに続いて訪れた。すごく頑丈に造られており、何度見ても驚かされる」と話していた。

 町内には戦争遺跡がかなりあり、そのうち潮岬を中心に16カ所に標柱を設置している。12月には、南紀串本観光協会が一部の戦争遺跡を歩いて巡るツアーを予定しているという。