和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年12月22日(日)

古道の物語 (1)海岸のサンゴ(串本町和深―潮岬)/石灰産地の名残とどめる

浜に打ち上がり積もるサンゴの破片。昔は石灰に利用された(串本町江田で)
浜に打ち上がり積もるサンゴの破片。昔は石灰に利用された(串本町江田で)
 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録地が広がって1年。追加登録された熊野古道や王子跡を改めて訪れてみると、美しい自然があり、奥深い歴史や文化が至る所に残されていることに気付く。海岸沿いの大辺路街道や田辺市の長尾坂など6カ所を訪ね、その見どころを紹介する。

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 串本町田子の熊野古道「富山平見道」を歩き、沖の「双島」を眺めながら海岸に下ると浜が真っ白になっている。サンゴの破片が一面に打ち上がっているからである。

 同町和深から潮岬の西側にかけての沿岸海域はサンゴの群生地。台風などで海が荒れると打ち上げられ、海岸に積もる。本州ではここだけに見られる光景だ。

 かつて、このサンゴの破片は海岸のあちこちに造られた窯で焼いて石灰にし、建物の壁などに塗るしっくいとして利用された。それは江戸中期から始まり、明治時代には樫野埼灯台や潮岬灯台の建物にも使われた。江戸末期に和歌山城が改築された際にも使われたといわれる。

 その石灰の製造は昭和40年代初めに途絶えた。その頃まで約20年間続けた同町高富の東出光路さん(84)によると、スギやヒノキを燃料に最高2千度ほどの高熱で1日かけてサンゴを焼いたという。

 本業だった林業の合間の作業で、サンゴも燃料も集めるのに苦労した。3カ月に1回ほどのペースで焼き、需要が多かった紀北や紀中に出荷した。「雨に流れにくい」という品質の良さが評判になったという。「サンゴと燃料が豊富な土地だからこそできた」と東出さんは振り返る。

 有田と田並の境の海岸には当時の窯が残っている。「灰地」という地名もあり、石灰産地だった往時の名残をとどめている。