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2024年12月22日(日)

献血200回以上で感謝状 南部ライオンズクラブ、町内の3人に、和歌山

200回以上献血して感謝状を贈られる森下秀夫さん(右端)、冨士八郎さん(右から2人目)、西山博康さん(右から3人目)=20日、和歌山県みなべ町芝で
200回以上献血して感謝状を贈られる森下秀夫さん(右端)、冨士八郎さん(右から2人目)、西山博康さん(右から3人目)=20日、和歌山県みなべ町芝で
 南部ライオンズクラブ(畑﨑恒定会長)は20日、献血した回数が200回以上を達成した和歌山県みなべ町内の人で、同クラブが把握している3人に対し、同町芝の町役場で感謝状と記念品を贈った。


 表彰されたのは、同町埴田の農業、森下秀夫さん(63)、同町筋の梅加工会社経営、西山博康さん(70)、同町北道の布団店経営、冨士八郎さん(75)の3人。

 森下さんは18歳の時に初めて興味本位で献血をした。その後も献血を続けてきたが、100回を過ぎたあたりでペースダウンしていた。しかし、森下さんが39歳の時、母親が肝臓の病気になり、治療で2カ月間血小板投与を受けたことから、感謝の気持ちで献血を復活。年に数回、定期的に行うようになった。

 この日は、ちょうど母親の25回忌の命日。森下さんは「これからも感謝の気持ちを持ち続けて献血を続けたい」と話した。

 西山さんも18歳から70歳になる直前まで、献血を続けてきた。きっかけは、生まれつき心臓疾患のあった2歳上の姉が20歳の時、東京都内の病院で手術を受ける際、大量の血液が必要になったこと。同じ血液型の地元の人たち20人以上が東京まで出向き、献血に協力してくれたおかげで、姉は無事手術を受けられた。受けた恩を返したいとの思いから、家族が皆、献血するようになったという。

 また、献血するには自分自身が健康でなければならず、健康維持の目標にもなってきた。毎朝ウオーキングをし、25歳でたばこをやめ、48歳で飲酒もやめた。

 西山さんにとって、献血はライフワーク。年齢制限があり先月26日の272回目が最後の献血となったが「年齢制限がなければまだまだ続けた」と話した。

 冨士さんは、高校2年の頃に祖母が手術し、近所の人たちに献血で助けられた経験がある。20歳から献血を始め、70歳になる直前まで続けた。今はライオンズクラブのメンバーとして、献血活動に携わっている。

 「献血は人の役に立つだけでなく、血液検査をして自分の健康管理にもなる。年に1回だけでも献血に協力していただければありがたい」と呼びかけた。

 この日、ライオンズクラブは結成55周年記念事業の一環として、県赤十字血液センターとともに町役場で献血活動をし、130人が献血した。

 献血活動の前に、山崎崇・55周年記念大会長は「200回は10年や20年では到底できないことであり、若い時から継続して献血されたことに心を動かされた。その血液で何十人何百人もの尊い命が助かったと思う。心から感謝したい」と述べ、3人に感謝状を手渡した。