マック鈴木、16歳で国外追放の過去告白「テレビで話すのは初めて」 まるで映画な人生にスタジオ騒然
MLBでも活躍した元プロ野球選手・マック鈴木が、25日放送の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(毎月第4金曜 深0:50※一部地域を除く)に出演した。“16歳で国外追放されちゃったしくじリーガー先生”として授業を行った。
【写真】衝撃の人生!過去をテレビ初告白したマック鈴木
“マック鈴木”こと本名・鈴木誠は、16歳で渡米しシアトル・マリナーズと契約。日本のプロ野球を経験することなく、MLBの世界に飛び込んだ第一号の選手として知られる。しかし登場早々、「16歳のとき、ヤンチャが原因で国外追放になった」と爆弾発言を繰り出し、片岡安祐美は口をあんぐり。伊集院光も「オレって野球くわしい立場でよばれているけど…これ、オレらも知らないこと!」と動揺する。鈴木も「こんなところ(=テレビ)で話すのは初めてです」と照れ笑いを浮かべながら授業をスタートした。
鈴木は子どもの頃から野球がうまく、地元では強豪校から誘いがくるような“野球エリート”だったが、「野球をやりながらヤンチャをしてましたね」と振り返るほど素行は不良で、高校1年の冬に他校の生徒と喧嘩。それが原因で自主退学することとなり、大学進学やプロ野球入りの話は一切立ち消えとなったと回顧。「高校退学後も、2度ほどポリス(警察)のほうでお世話になって…」という過去も明かした。
するとあきれた父親から「アメリカとドミニカ、どちらに行くか選べ」と提案され、とりあえずアメリカ行きを選択。「ヤンチャや素行不良で親戚やお寺に預けられたりする話はよく聞くけど、僕の場合はアメリカに預けられた(笑)」と、16歳で単身アメリカへと旅立つことに。
到着したあとは、逃げ出さないよう「父親の知り合いの知り合いの知り合い」という人物にパスポートを取り上げられた上、何もわからないまま、ある場所に連れていかれたと告白。その場所こそ、のちに敏腕代理人として活躍する団野村氏がオーナーを務めるマイナーリーグ1Aのチーム“サリナス・スパーズ”。父親がボーイズリーグの監督のツテをたどって紹介してもらった職場で、マック先生はその“球団職員”として働くことになったと明かす。
とはいえ、英語もできずデスクワークも難しいため、任された仕事は掃除、洗濯、球拾い、バッティングピッチャーなど雑用中心で1日17~18時間業務。寮はあったもののほとんど球場に寝泊まりする日々で、給料は月給わずか300ドル、選手の食べ残しを探して腹を満たすこともあったという厳しい日々を送った。
ところが、球団職員として勤務し5ヶ月が経ったころ、大きな転機が訪れた。突然、チームオーナーの団野村氏から「リーグ最終戦で投げてみろ!」と言われ、選手としてチームに所属することになった。洗濯係から選手へと一気にチャンスをつかんだドラマチックな展開に、教室からは「そのストーリー、すごいっすわ!」「漫画か映画みたい!」「こんなことあるの?」「絶対、映画にしたほうがいい!」などと驚きの声が上がった。
鈴木に転機をもたらした団野村氏は、野茂英雄氏をはじめとする多くの日本人メジャーリーガーの代理人を務めた人物で、日本球界とMLBをつないだ草分け的存在。授業の途中、鈴木は「もともと団野村さんはエージェントではなかったんですけども、誰のエージェントではじまったかというと僕からなんです。だから、僕が(アメリカに)行ってなかったら野茂さんも行ってないんですよ。よく“野茂さんのおかげです”とか聞くじゃないですか?違う、違う、もう一個前!」と自身が日本人MLBプレイヤーのパイオニアだとアピールした。
ABEMAでは、今回の授業を見逃し配信中。そして、次回11月1日はABEMAで鈴木の授業後編を配信する。日本のプロ野球未経験でMLBデビューをはたした先生に襲いかかった苦悩とは。
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鈴木は子どもの頃から野球がうまく、地元では強豪校から誘いがくるような“野球エリート”だったが、「野球をやりながらヤンチャをしてましたね」と振り返るほど素行は不良で、高校1年の冬に他校の生徒と喧嘩。それが原因で自主退学することとなり、大学進学やプロ野球入りの話は一切立ち消えとなったと回顧。「高校退学後も、2度ほどポリス(警察)のほうでお世話になって…」という過去も明かした。
するとあきれた父親から「アメリカとドミニカ、どちらに行くか選べ」と提案され、とりあえずアメリカ行きを選択。「ヤンチャや素行不良で親戚やお寺に預けられたりする話はよく聞くけど、僕の場合はアメリカに預けられた(笑)」と、16歳で単身アメリカへと旅立つことに。
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とはいえ、英語もできずデスクワークも難しいため、任された仕事は掃除、洗濯、球拾い、バッティングピッチャーなど雑用中心で1日17~18時間業務。寮はあったもののほとんど球場に寝泊まりする日々で、給料は月給わずか300ドル、選手の食べ残しを探して腹を満たすこともあったという厳しい日々を送った。
ところが、球団職員として勤務し5ヶ月が経ったころ、大きな転機が訪れた。突然、チームオーナーの団野村氏から「リーグ最終戦で投げてみろ!」と言われ、選手としてチームに所属することになった。洗濯係から選手へと一気にチャンスをつかんだドラマチックな展開に、教室からは「そのストーリー、すごいっすわ!」「漫画か映画みたい!」「こんなことあるの?」「絶対、映画にしたほうがいい!」などと驚きの声が上がった。
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ABEMAでは、今回の授業を見逃し配信中。そして、次回11月1日はABEMAで鈴木の授業後編を配信する。日本のプロ野球未経験でMLBデビューをはたした先生に襲いかかった苦悩とは。
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