和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年12月22日(日)

日記から読み取る南方熊楠の生活 11月24日まで田辺の顕彰館で企画展、和歌山

南方熊楠の日記の魅力に触れることができる企画展(和歌山県田辺市中屋敷町で)
南方熊楠の日記の魅力に触れることができる企画展(和歌山県田辺市中屋敷町で)
 和歌山県田辺市中屋敷町の南方熊楠顕彰館は、2024年度企画展Ⅱ「日記から読み取れる南方熊楠の生活」を開いている。一生を通じて日記を書き続けた熊楠。日記には、その日の天候や起床から就寝までの出来事、人との交流、生物の観察、執筆活動、郵便のやりとりなどが感情を交えることなく淡々と書かれており、そんな記述から読み取れる熊楠の生活を紹介している。「今回の展示が、熊楠の日記に親しんでもらうきっかけになれば」と同館。11月24日まで。観覧は無料。


 今回の展示を担当した「田辺・南方熊楠翻字の会」は2000年から活動を始め、熊楠の日記を読み続けてきた。会員は田辺市や同市周辺の出身者・在住者が中心であるため、地元の人間ならではの日記の読み取りをしてきた。

 企画展では、そんな会員の一人一人が、日記を読み続けてきた中で特に興味深く感じたこと、印象に残ったことなどを紹介。集まったテーマは「食べて」「寝て」、その間に「読書」「研究」「執筆」などの活動があったり、周囲の人々との「交流」があったりで、まさに熊楠の生活が浮かび上がる内容になった。日記の原文のコピーとその翻刻文を並べて展示している。

 日記は、博文館製の日記帳A4判の半分サイズに、片仮名交じりの文が毛筆で書かれている。本文は、徹夜明けで「昨夜眠らず、今朝押通し…」で始まることが多く、それから「何時に寝た」「何時に誰それが来た」「何時に去った」など、逐一出来事とその時刻を列記している。遊びに来た隣家の子どもや自身の子どもの様子も記録しており、何をしていたかや話した内容なども書いている。日記は、自分のことだけではなく家族誌でもある。

 大正9(1920)年7月11日の日記には「朝飯の節、平瀬氏より着鎌倉ハム開き食ふ。文枝は少し味ひ吐息つき、熊弥は涎ながす。何れも好まず。」とある。ここに出てくる「鎌倉ハム」は、1900年創業の富岡商会鎌倉小町本店のもので、前日の10日に平瀬作五郎から送られた「缶詰鎌倉ハム」。平瀬作五郎は、帝国大(東大)の植物学教室に画工として就職し、植物分類学者・牧野富太郎とともに助手に任命され、この時期には、京都に住んで熊楠とマツバランについて共同研究をしていた人物という。珍しい缶詰のハムは、子どもたちにとってはおいしいものではなかったようで、その反応が短い文で表現されている。

 昨年、熊楠の昭和6、7(1931、32)年の日記を翻刻した「南方熊楠日記」が出版され、来年には昭和8、9(1933、34)年分の日記が出版される予定。

 企画展に合わせて、神島高校(田辺市文里2丁目)の写真部員が撮影した、校名の由来ともなった田辺湾にある国の天然記念物「神島」(熊楠が守った島)の写真も展示している。

 企画展の関連イベントとして10月26日午後1時~1時半、顕彰館で「田辺・南方熊楠翻字の会」会員によるギャラリートーク(展示解説)がある。

 開館時間は午前10時~午後5時(最終入館は午後4時半)。休館日は10月14、15、21、28日と11月4、5、11、18日。