和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年12月22日(日)

那智では採れない 地学事典が改訂、那智黒石の産地、和歌山

那智黒石で作られた置物や硯など
那智黒石で作られた置物や硯など
 硯(すずり)や碁石などに利用される「那智黒石」の産地が、和歌山県那智勝浦町の那智地域ではなく三重県熊野市が中心だという説を地元の研究者が訴え、「地学事典」(平凡社発行)の最新版で改訂された。これまで多くの事典や辞典、図鑑で誤記が見られた。地元でも誤認している人は多く、研究者らは「この改訂をきっかけに、より正しく理解してもらいたい」と期待している。


 那智黒石は、熊野市神川町にある中新世の前弧海盆堆積体の「熊野層群」という地層から採れる黒色の珪質頁岩(けいしつけつがん)の石材。珪質頁岩は、海底に泥が積もってできた岩石で、粒子が細かく、磨けば漆黒になる。その特徴から、硯や碁石に加工する材料として使われるようになり、置石や装飾品としても重宝され、地域団体商標として特許庁に登録されている。また、三重、和歌山両県南部の海浜で採れる黒い玉砂利も、那智黒石と呼ばれる。河川を通じて運ばれたもので、さまざまな地質の岩石があり、かつては那智の霊場への供物や熊野詣での証しとされていた。

 「那智黒石」という名は、天保10(1839)年に完成した紀州藩編さんの地誌「紀伊続風土記」に登場する。「佐野村」(現新宮市)の項に、海辺より出る黒い玉砂利について「那智黒石」と記されている。一方、加工用石材については、「神上村」(現熊野市神川町)の項に「硯財神渓石」の名称で出ている。

 その後、さまざまな事典や辞典、図鑑で那智黒石が紹介されるが、誤記が見られるようになった。1970年に出版された地学事典も、産地が「和歌山県東牟婁郡那智川付近、熊野川上流、三重県南牟婁郡神川村など」、産出の地層が「古生層(古生代の地層)・中生層(中生代の地層)」と記されていた。96年の改訂版でも産地は「和歌山県那智地方から三重県熊野市」、地層は「紀伊半島四万十累帯」となっていた。これが3月下旬に出版された「最新」版で改められた。

■名称から誤解も


 最新版の地学事典で「那智黒石」の項を担当した和歌山大学客員教授の後誠介さん(71)=那智勝浦町=は、誤った記述の原因について、紀伊続風土記では加工用石材と黒い玉砂利を区別していたが、明治後期から昭和前期にかけて出版された学術文献や文化財報告書ではそれらが同一の岩石であると記述されたこと▽1951年の大阪市立自然科学博物館による北山峡での科学調査で、地層の地質境界を誤認し、それを引用した地質専門誌が加工用石材である那智黒石が中生層から産すると誤記したこと▽那智黒石の名称から産地が那智付近と誤解されたこと―の3点を挙げる。

 後さんは「那智黒石の名称は、加工用石材をさす場合と黒い玉砂利をさす場合があるが、二つを区別する必要がある。那智には加工用石材になる黒色の珪質頁岩も黒色の玉砂利もない」と説明。「不変であるかのように思われがちな岩石や大地についても研究が進めば新しいことが分かってくる。これからも改めなければいけないことが出てくるかもしれない」と話している。