和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年12月04日(水)

河原石に経文一字ずつ 上富田町で「一字一石経」出土

経塚から出土した、法華経を1字ずつ書き写した河原石(和歌山県上富田町朝来で)
経塚から出土した、法華経を1字ずつ書き写した河原石(和歌山県上富田町朝来で)
経塚の上に建てられていた石碑。現在は廃棄されて残っていない(和歌山県文化財保護指導委員の岩橋幸大さん提供)
経塚の上に建てられていた石碑。現在は廃棄されて残っていない(和歌山県文化財保護指導委員の岩橋幸大さん提供)
 和歌山県上富田町市ノ瀬の共同墓地にある「経塚」から、仏教の経典・法華経を河原石に1字ずつ書いた「一字一石経」が出土した。町教育委員会は、来春の展示を企画しており、担当者は「実際に見られる機会は少ない。興味や関心を持ってもらい、身近な文化財を大事に思ってもらえたらうれしい」と話している。


 経塚は書写した仏教経典を土中に埋納した遺跡。町内では今回を含め13カ所確認されている。

 主に法華経を小石に書き写して経塚に埋納する「一字一石経」は、江戸時代に多く見られた風習で、功徳や追善供養などを目的としている。今回の「一字一石経」が見つかった経塚は、市ノ瀬の共同墓地の一角にあり、上には石碑が建てられていた。

 石碑を調査していた上富田文化の会会長で県文化財保護指導委員の岩橋幸大さん(73)によると今春、石碑と隣接する墓の持ち主が墓じまいをした際、工事を請け負った業者が石碑を経塚と気付かず廃棄してしまったという。

 石碑がなくなったことに気付いた岩橋さんが業者に問い合わせたところ、地下の石棺から多数の小石が出土し、その後埋め戻したという。石碑の文言から「一字一石経」があることを予想していたが、出土した小石を調べた結果「一字一石経」だと確認できた。

 岩橋さんの調査によると、石碑には経塚が江戸時代の1752(宝暦2)年に設けられたことが記されていた。その経緯として、奥州岩瀬郡下柱田村の「直心」という人物が、日本を回国していた途中で現在の上富田町市ノ瀬に立ち寄って休み、食事の施しを受けたこと、その礼として法華経の一部を石に書き写して奉納したことが刻まれていた。石碑の文言からは「直心」が法華経や禅宗にも造詣が深い人物だったことが読み取れたという。

■文化財に指定も

 岩橋さんは「残念ながら石碑は廃棄されてしまったが、書写した石は残されているため、今後は町指定文化財として保護していけるよう作業を進めている。町内には他にも貴重な文化財があり、撤去する場合は事前に連絡してもらい、一緒に保全の方法を考えていきたい」と語った。

 町教委で文化財などを担当している大谷逸人さん(66)は「歴史的な位置付けや価値を知ってもらうことで、身近にある文化財を守り、誇りに思ってもらえることにもつながると思う。展示を通して、経塚がどういうものかを知ってもらいたい」と話した。