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語り継ぐ記憶(4)/谷口 満穂〈たにぐち みちほ〉さん(84)/上富田町生馬/忘れられない味

谷口満穂さん
谷口満穂さん
 「戦時中のことは詳しく覚えていない。それでも、食べる物がなくて、ひもじかった。母親が着物を売って食べ物に換えていたこともうっすら記憶している」。そんな中で忘れられない味と出合った。

 戦時中は和歌山市に住んでいた。父親が広島県呉市の軍施設に勤務しており、母親と2人、汽車で会いに行ったことがあった。

 遠方からの面会は歓迎された。「軍の偉い人が『よく来たね』とまんじゅうをくれた。当時、こんな甘い物は食べたことがなくて、とてもおいしかったのを今も覚えている」

 一方、父は芋を食べていた。「終戦間近の頃、軍でも十分な食料はなかったのだろう。まんじゅうは私が思っている以上に特別だったのかもしれない」と振り返る。

 初めての汽車の旅だったが、幼児には遠いし、ぎゅうぎゅう詰めで乗っているだけで疲れた。駅にも簡単には降りられない。大人の男性たちが谷口さんを持ち上げ、乗客の頭越しに手渡して「リレー」し、外まで運び出してくれた。

 「戦時中は殺伐とした雰囲気だったと思われがちだが、こうした助け合いや優しさもあった」。まんじゅうの味と同様に忘れられない思い出となった。

 その後、父親の実家がある上富田町に疎開した。家の周辺には複数の防空壕(ごう)があった。「艦砲射撃が来る」といううわさがあり、蚊帳を持って林に避難したこともあった。

 食糧難は戦後も続いた。「うちは田んぼがあったからまだましだったが、米が食べられない家も珍しくなかった。小学校では『弁当を見られるのが恥ずかしい』と覆い隠して食べている友達もいた。食品ロスが問題となる今では信じられないだろうけど」と話した。

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