「川の参詣道」で船頭修行 協力隊で移住の若者、和歌山・熊野川の川舟下り
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されている和歌山県新宮市の熊野川で、観光客を乗せる川舟下りの船頭になることを目指し、東京から移り住んだ若者が修業に励んでいる。この春から同市の地域おこし協力隊になった渡邉史崇さん(30)。船頭の高齢化に伴って技術の継承が課題となっており、渡邉さんは「早く一人前になりたい」と意気込んでいる。
熊野川は、田辺市本宮町にある熊野本宮大社の旧社地・大斎原(おおゆのはら)と新宮市の熊野速玉大社を結ぶ「川の参詣道」として約34キロが世界遺産に登録されている。今年7月で登録20周年の節目を迎える。
2005年から運航が始まった熊野川の川舟下りは、同市の一般財団法人「熊野川町ふれあい公社」(下阪殖保代表理事)が運営。「道の駅瀞峡(どろきょう)街道熊野川」そばを出発し、市街地にある速玉大社近くの河原まで1時間半ほどかけて下る。和歌山、三重、奈良の3県境を流れる北山川の「瀞峡めぐり」もあり、ともに3~11月に定期乗合便を運航している。
川舟を操る船頭は現在、熊野川の川舟下りが3人、瀞峡めぐりが2人の計5人で、いずれも70代と高齢化している。船頭の技術継承が課題となっていることから、同市が地域おこし協力隊を募集していた。
渡邉さんは4月に着任した。任期は最大3年間。地域おこし協力隊が船頭を目指すのは今回が初めてのケースという。
渡邉さんは岐阜県出身で、愛知県にある大学の理工学部に進学。大学院を卒業して自動車メーカーに就職した後、地方創生などのコンサルティングに取り組む東京の企業に転職した。
仕事を通じて地方で生き生きと働く人たちに出会い、自分も地方で働くことに魅力を感じるようになった。友人の祖母が新宮市熊野川町に住んでいたことでこの地域と縁ができたこともあり、協力隊の募集に応募した。
渡邉さんは新宮に移り住み、ふれあい公社が運営する熊野川川舟センターで働きながら、小型船舶の操縦士免許を取得。船頭の津呂進さん(73)=新宮市野田=らに教わり、船頭見習いとして修業に励んでいる。
津呂さんは「若い人が来てくれてうれしい。川は毎日のように様子が変わる。まだまだ時間はかかるだろうが、頑張って一人前になってほしい」とエールを送る。
渡邉さんは「波の立ち方で川が浅いか深いかを見極めなければならないし、技術的にもさおなどの扱い方が難しい。お客さんが増えて船頭が足りない状況なので、早く一人前になり、若い人たちにこの仕事を知ってもらえるよう情報発信もしていきたい」と話している。
熊野川は、田辺市本宮町にある熊野本宮大社の旧社地・大斎原(おおゆのはら)と新宮市の熊野速玉大社を結ぶ「川の参詣道」として約34キロが世界遺産に登録されている。今年7月で登録20周年の節目を迎える。
2005年から運航が始まった熊野川の川舟下りは、同市の一般財団法人「熊野川町ふれあい公社」(下阪殖保代表理事)が運営。「道の駅瀞峡(どろきょう)街道熊野川」そばを出発し、市街地にある速玉大社近くの河原まで1時間半ほどかけて下る。和歌山、三重、奈良の3県境を流れる北山川の「瀞峡めぐり」もあり、ともに3~11月に定期乗合便を運航している。
川舟を操る船頭は現在、熊野川の川舟下りが3人、瀞峡めぐりが2人の計5人で、いずれも70代と高齢化している。船頭の技術継承が課題となっていることから、同市が地域おこし協力隊を募集していた。
渡邉さんは4月に着任した。任期は最大3年間。地域おこし協力隊が船頭を目指すのは今回が初めてのケースという。
渡邉さんは岐阜県出身で、愛知県にある大学の理工学部に進学。大学院を卒業して自動車メーカーに就職した後、地方創生などのコンサルティングに取り組む東京の企業に転職した。
仕事を通じて地方で生き生きと働く人たちに出会い、自分も地方で働くことに魅力を感じるようになった。友人の祖母が新宮市熊野川町に住んでいたことでこの地域と縁ができたこともあり、協力隊の募集に応募した。
渡邉さんは新宮に移り住み、ふれあい公社が運営する熊野川川舟センターで働きながら、小型船舶の操縦士免許を取得。船頭の津呂進さん(73)=新宮市野田=らに教わり、船頭見習いとして修業に励んでいる。
津呂さんは「若い人が来てくれてうれしい。川は毎日のように様子が変わる。まだまだ時間はかかるだろうが、頑張って一人前になってほしい」とエールを送る。
渡邉さんは「波の立ち方で川が浅いか深いかを見極めなければならないし、技術的にもさおなどの扱い方が難しい。お客さんが増えて船頭が足りない状況なので、早く一人前になり、若い人たちにこの仕事を知ってもらえるよう情報発信もしていきたい」と話している。