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歴史の道「小栗街道」復元へ 紀南の市民団体が調査

歴史の道「小栗街道」のルートを調査する熊野古道大辺路刈り開き隊のメンバー(和歌山県田辺市和田で)
歴史の道「小栗街道」のルートを調査する熊野古道大辺路刈り開き隊のメンバー(和歌山県田辺市和田で)
生駒和歌子さんが描いた小栗街道の絵地図
生駒和歌子さんが描いた小栗街道の絵地図
 「小栗判官物語」ゆかりの歴史の道「小栗街道」のうち、和歌山県田辺市の鮎川から本宮町本宮までのコースを復元しようと、紀南の住民団体「熊野古道大辺路刈り開き隊」が調査を続けている。絵地図も作製しており、会員は「全国的に知られる歴史の道。大勢に歩いてもらえるようにしたい」と意気込む。


 小栗判官物語は、毒殺された常陸の国(茨城県)の小栗が、藤沢(神奈川県)から土車に乗って熊野まで運ばれ、温泉によって元の姿に戻ったという物語。鎌倉時代に開かれた時宗の僧が、不思議な魅力を持つ熊野信仰を説法という形で世に広めるために創作したとされ、歌舞伎や浄瑠璃にも発展した。小栗が照手姫と一緒に通った道は「小栗街道」と呼ばれ、大阪府内でよく知られる。和歌山県や愛知県、岐阜県などではゆかりの地が何カ所も残っている。

 小栗街道のうち、鮎川から本宮までの区間で土のままで残っている古道が2019年秋、「歴史の道百選」として「熊野参詣道」のエリアに加わった。

 この歴史の道について、刈り開き隊の上野一夫隊長(72)=串本町中湊=は10年ほど前、地元の郷土史家から「本宮まで行くのに中辺路街道より近い道がある」と聞いたことから興味を持った。19年春、上野隊長や隊員の稲田溥明さん(80)=白浜町堅田、生駒和歌子さん(49)=田辺市中芳養=らが、過去の資料を基に調査に乗り出した。

 鮎川の草木尾坂―水呑峠から始まり、5月中頃まで10回近く通って各峠の登り口を確認したり、実際に歩いて古道のルートを調べたりしてきた。本宮町の湯の峰温泉までたどり着いており、今後、小栗判官が乗った土車を埋めたと伝わる「車塚」近くの古道を調べる。それで、ルート全体の確認を終える。

 上野隊長によると、本宮町の武住―四辻峠間など道の7割ほどはきれいに残っている。しかし、それ以外は斜面が崩れ落ちて道が寸断された箇所もいくつかあるため、修繕したり、回り道を整備したりする必要がある。それらが難しい場合は、林道や県道を利用しなければいけないという。

 刈り開き隊はこれまで、海岸沿いの熊野古道で一部が世界遺産になっている「大辺路街道」のほか、それより内陸を通る「古座街道」の復元や保全をするとともに、ウオークイベントを企画するなどして県内外に発信している。小栗街道も歩けるようにして、全国に売り込みたいという。

 上野隊長は「硯大師など、道沿いには地蔵や道標が多く残っている。なんとか復元したい」と話す。活動に協力してくれる人を募っている。

■街道を水墨の絵地図に

 絵地図は生駒さんが描いている。これまで鮎川―和田間をA3用紙4枚に下書きし、そのうち平瀬までの区間を1枚(縦37センチ、横140センチ)にして墨書きし、色を付けて、今年1月に完成させた。本宮までのルート全体を3枚に分けて絵地図にしたいという。

 絵地図では、小栗判官物語の伝承に努める安井理夫さん(85)=田辺市東陽=のほか、先人がまとめた資料を参考にしながら見どころや伝説などを紹介している。生駒さんは「小栗街道は熊野の参詣道の一つ。主に社会的弱者が歩いた道だが、付近の集落の人たちも熊野参りの際に通った」と話す。

 生駒さんは、小栗街道の印南町から田辺市の市街地を経て上富田町までの区間も絵地図にしている。

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