稗田一穂さん死去
和歌山県田辺市新屋敷町出身の日本画家で、東京芸術大学名誉教授の稗田一穂(ひえだ・かずほ)さん=東京都=が3月23日午後7時21分、老衰のため東京都内の病院で死去。100歳。葬儀は親族で行った。喪主は長女稗田由季(ひえだ・ゆき)さんと、次女田中麻琴(たなか・まこと)さん。
稗田さんは1943年に東京美術学校(現東京芸大)を卒業。山本丘人に師事し、46年の第1回日本美術展に入選、48年の第1回創造美術展で奨励賞を受賞するなどした。67年には火災で焼けた法隆寺金堂壁画の再現事業にも関わった。
72年、東京芸大教授に就任。74年には創画会の結成に参加。85年に和歌山県文化賞と田辺市文化賞を受賞した。88年に東京芸大教授を退官し、名誉教授となる。91年、芸術院賞恩賜賞を受賞。2001年には文化功労者に選ばれた。
紀伊民報では19年まで約30年間、元日号に作品を掲載していた。
生前の功績をしのび、田辺市の真砂充敏市長は「現代日本画壇における屈指の作家として田辺市の誇りでもあった。田辺市立美術館は氏の作品28点を所蔵しているが、このうち12点は氏が寄贈くださったものであり、氏の人柄が表れている。ご冥福を祈る」とコメントを出した。
稗田さんは1943年に東京美術学校(現東京芸大)を卒業。山本丘人に師事し、46年の第1回日本美術展に入選、48年の第1回創造美術展で奨励賞を受賞するなどした。67年には火災で焼けた法隆寺金堂壁画の再現事業にも関わった。
72年、東京芸大教授に就任。74年には創画会の結成に参加。85年に和歌山県文化賞と田辺市文化賞を受賞した。88年に東京芸大教授を退官し、名誉教授となる。91年、芸術院賞恩賜賞を受賞。2001年には文化功労者に選ばれた。
紀伊民報では19年まで約30年間、元日号に作品を掲載していた。
生前の功績をしのび、田辺市の真砂充敏市長は「現代日本画壇における屈指の作家として田辺市の誇りでもあった。田辺市立美術館は氏の作品28点を所蔵しているが、このうち12点は氏が寄贈くださったものであり、氏の人柄が表れている。ご冥福を祈る」とコメントを出した。