ウミガメ先生、後藤清さん死去
和歌山県みなべ町山内の千里の浜で、アカウミガメの上陸・産卵の調査や保護活動をした後藤清(ごとう・きよし)さんが3日、町内の病院で誤嚥(ごえん)性肺炎で死去した。91歳。告別式は5日に家族で営んだ。喪主は長女の夫、南安弘(みなみ・やすひろ)さん。自宅の住所はみなべ町東吉田278。
みなべ町内のほか、田辺市龍神村、印南町の小学校教諭を務め、印南町山口小学校の教頭を最後に定年退職した。退職前から、教え子の後を引き継ぎ、毎年5~10月、千里の浜を歩いて、産卵のために上陸したアカウミガメの産卵数やふ化率などを調べ、30年にわたって記録にまとめ続けた。
■志引き継ぐ 関係者から悼む声
後藤さんを慕い、志を引き継ぐ関係者は後藤さんとの別れを惜しむとともに、改めて地域の海、自然を継承していく思いを強くした。
長女の南かよ子さん(印南町切目)によると、シーズンになると、後藤さんは昼夜逆転の生活で、帰宅するのは未明や朝。いつも玄関は砂まみれだった。台風の日でも「気になる」と言って浜に行くことがあったという。2011年度の自然公園関係功労者環境大臣表彰を受けた。
後藤さんが1人で「ウミガメ研究班」として調査をしていたのに続き、京都大学のゼミ生やNPO日本ウミガメ協議会、地元青年クラブも調査を始めた。14年8月、後藤さんは高齢を理由に、研究班を青年クラブの会長に引き継ぎ、自らは顧問に就いた。
その後、交通事故に遭い、療養中に転倒し、足の骨を折るなどしたが、町内のサービス付き高齢者向け住宅でリハビリを重ね、浜にも出ることができるまでになった。今年1月にあった紀伊半島ウミガメシンポジウムにも出席し、各産卵地の現状報告を熱心に聞いていた。
5月に体調を崩して入院。回復して退院を間近にしていたが発熱、今月3日に死去した。11月に町内である「日本ウミガメ会議みなべ大会」への出席も考えていたという。
尾田賢治・みなべウミガメ研究班会長 ウミガメ保護はもちろんのこと、その活動を介して生まれる人間関係の中心には、いつも後藤先生の笑顔がありました。日本ウミガメ会議みなべ大会が今年11月に開かれることが決まったと報告をした際の笑顔は、今でも忘れられません。30回の記念大会ということで、ぜひ先生にも参加していただこうと、みなべ開催になりましたが、開催を目前に旅立たれました。
無念ではありますが、先生が愛したウミガメ会議が、無事大成功に終われますように見守っていてください。今までいろいろとありがとうございました。そして、お疲れさまでした。
松沢慶将・日本ウミガメ協議会会長 ただただ残念でなりません。後藤先生は、日本におけるウミガメ保護調査研究における重鎮です。数年前に体調を崩されるまで、約30年間にわたり、ウミガメの産卵・ふ化シーズンは連日連夜、千里の浜を歩き続け、時には難産のウミガメをそばで見守り、水没して溺死した卵を哀れんでおられました。産卵観察に訪れる人々に丁寧に指導しながら、黙々と上陸産卵回数や標識による個体識別、計測などのデータを積み重ねられ、青年クラブや学生、若い研究者を受け入れて、ウミガメの生態解明と保全に尽力されました。
全国各地の砂浜が、増大する人間活動の影響などにより、ウミガメの産卵地としての機能を失いつつある昨今、千里の浜が本州最大のアカウミガメの産卵地として、いまだにその地位を失わずに、将来に継ぐことができるのは、後藤先生によるところと考えます。
その業績・遺徳を、後世に語りながら、先生が磨かれた「みなべの奇跡」をわれわれの努力で、次代に継いでいきたく思います。ご冥福をお祈りします。
みなべ町内のほか、田辺市龍神村、印南町の小学校教諭を務め、印南町山口小学校の教頭を最後に定年退職した。退職前から、教え子の後を引き継ぎ、毎年5~10月、千里の浜を歩いて、産卵のために上陸したアカウミガメの産卵数やふ化率などを調べ、30年にわたって記録にまとめ続けた。
■志引き継ぐ 関係者から悼む声
後藤さんを慕い、志を引き継ぐ関係者は後藤さんとの別れを惜しむとともに、改めて地域の海、自然を継承していく思いを強くした。
長女の南かよ子さん(印南町切目)によると、シーズンになると、後藤さんは昼夜逆転の生活で、帰宅するのは未明や朝。いつも玄関は砂まみれだった。台風の日でも「気になる」と言って浜に行くことがあったという。2011年度の自然公園関係功労者環境大臣表彰を受けた。
後藤さんが1人で「ウミガメ研究班」として調査をしていたのに続き、京都大学のゼミ生やNPO日本ウミガメ協議会、地元青年クラブも調査を始めた。14年8月、後藤さんは高齢を理由に、研究班を青年クラブの会長に引き継ぎ、自らは顧問に就いた。
その後、交通事故に遭い、療養中に転倒し、足の骨を折るなどしたが、町内のサービス付き高齢者向け住宅でリハビリを重ね、浜にも出ることができるまでになった。今年1月にあった紀伊半島ウミガメシンポジウムにも出席し、各産卵地の現状報告を熱心に聞いていた。
5月に体調を崩して入院。回復して退院を間近にしていたが発熱、今月3日に死去した。11月に町内である「日本ウミガメ会議みなべ大会」への出席も考えていたという。
尾田賢治・みなべウミガメ研究班会長 ウミガメ保護はもちろんのこと、その活動を介して生まれる人間関係の中心には、いつも後藤先生の笑顔がありました。日本ウミガメ会議みなべ大会が今年11月に開かれることが決まったと報告をした際の笑顔は、今でも忘れられません。30回の記念大会ということで、ぜひ先生にも参加していただこうと、みなべ開催になりましたが、開催を目前に旅立たれました。
無念ではありますが、先生が愛したウミガメ会議が、無事大成功に終われますように見守っていてください。今までいろいろとありがとうございました。そして、お疲れさまでした。
松沢慶将・日本ウミガメ協議会会長 ただただ残念でなりません。後藤先生は、日本におけるウミガメ保護調査研究における重鎮です。数年前に体調を崩されるまで、約30年間にわたり、ウミガメの産卵・ふ化シーズンは連日連夜、千里の浜を歩き続け、時には難産のウミガメをそばで見守り、水没して溺死した卵を哀れんでおられました。産卵観察に訪れる人々に丁寧に指導しながら、黙々と上陸産卵回数や標識による個体識別、計測などのデータを積み重ねられ、青年クラブや学生、若い研究者を受け入れて、ウミガメの生態解明と保全に尽力されました。
全国各地の砂浜が、増大する人間活動の影響などにより、ウミガメの産卵地としての機能を失いつつある昨今、千里の浜が本州最大のアカウミガメの産卵地として、いまだにその地位を失わずに、将来に継ぐことができるのは、後藤先生によるところと考えます。
その業績・遺徳を、後世に語りながら、先生が磨かれた「みなべの奇跡」をわれわれの努力で、次代に継いでいきたく思います。ご冥福をお祈りします。