和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2024年12月22日(日)

大水害の犠牲者追悼 那智勝浦町や新宮市、「災害忘れない」

慰霊碑の前で手を合わせる参加者(4日午前1時10分ごろ、和歌山県那智勝浦町井関で)
慰霊碑の前で手を合わせる参加者(4日午前1時10分ごろ、和歌山県那智勝浦町井関で)
慰霊碑の前で献花する田岡実千年市長(4日、新宮市熊野川町田長で)
慰霊碑の前で献花する田岡実千年市長(4日、新宮市熊野川町田長で)
 紀伊半島大水害から丸11年となった4日、多くの犠牲者が出た和歌山県の那智勝浦町や新宮市で追悼行事があった。参加した遺族や住民、行政関係者らは「あの災害を忘れない」と改めて誓った。

 死者・行方不明者が29人と県内で最も多かった那智勝浦町では、「那智谷大水害遺族会」が、被害が発生したころとされる午前1時から、同町井関にある大水害記念公園で追悼供養の行事を営んだ。犠牲者の名前などを刻む石碑の前に発光ダイオード(LED)ライトが29個並ぶ中、遺族や地区住民らが手を合わせた。

 水害でおいを亡くした遺族会代表の岩渕三千生さん(61)=三重県紀宝町=は「毎年この日のこの時間帯になると、当時を思い出す。あんな被害がもう起きないように見守ってくれよと祈った」と話した。

 公園近くにある市野々小学校2年生の時に水害が起き、同級生1人が犠牲になった大学1年生の貝岐好香さん(18)=和歌山市=は、小学校時の同級生3人と公園を訪問した。「教室に大木が突き刺さっていたことや、しばらく学校が使えなかったことを今も思い出すことがある」と語った。

 当時も今も井関地区の区長である石井康夫さん(67)は「地区在住だった犠牲者の19人全員の顔が思い浮かぶ。今も大雨になると心配するが、工事が進んだおかげで、当時よりも災害に強い地区になったと思っている」と話した。

 同日午後には、堀順一郎町長も公園を訪問。慰霊碑へ献花した。



 死者・行方不明者が14人に上った新宮市では、熊野川町田長にある道の駅「瀞峡街道熊野川」で、市の追悼行事があった。約30人が参列し、慰霊碑の前に設けた献花台に花を供えた。

 田岡実千年市長は「水害を片時も忘れず、安心・安全に暮らせるまちを築いていく」と述べた。

 地区在住で、道の駅近くで郷土料理を提供する「かあちゃんの店」スタッフの竹田愛子さん(81)は「(水害からは)あっという間だった」と振り返った。一緒に店で働いていた女性が犠牲になったといい「みんな元気にやっているよと報告するつもりで手を合わせた」と話した。


 【紀伊半島大水害】

 2011年の台風12号による豪雨災害。県南部の各地で総雨量が千ミリを超えた。地滑りや土石流などが発生し、県全体で56人が亡くなった。国道や県道は180カ所で通行止めになった。