「闘雞神社と南方熊楠」 9月まで特別企画展
和歌山県田辺市中屋敷町の南方熊楠顕彰館は、第26回特別企画展「闘雞神社と南方熊楠」を開いている。今年、創建1600年の世界遺産闘雞神社(田辺市東陽)は、熊楠にとってフィールドワークの場であり、妻・松枝の実家でもあった。朝に夕に通っていたことが日記から読み取れる。同神社の歴史を踏まえ、熊楠との関係性に迫る企画展。9月16日まで。
熊楠は和歌山市の出身だが、米英で十余年を過ごした後の1904年、当時の田辺町に移り住み、74歳で亡くなるまでの37年間を田辺で過ごした。その間、田辺の住人として闘雞神社との関わりが生まれたが、生物学者、文献研究者としても神社の神宝(神域として保全された紀南の自然林と和漢の書籍)にゆかりができ、宮司の四女と結婚し、妻の実家が闘雞神社であるという縁を結ぶことにもなった。
闘雞神社書庫には、300余点の古典籍が収蔵されており、田辺の宗教的中心であるとともに知的・文化的拠点としての役割も担ってきた。熊楠にとっても知的好奇心を刺激する存在で、書庫から書籍を借り出して書写活動をするようになった。全61巻の抜書ノート(田辺抜書)を熊楠は晩年まで書き継いだ。顕彰館によると「田辺における熊楠の学問は、闘雞神社によって始まったといえる」という。
展示資料は計58点。闘雞神社の蔵書をはじめ、田辺祭の様子が描かれた絵巻の複製品(闘雞神社蔵)、1934年の田辺祭の際に撮影されたという組み写真(田辺市立図書館蔵)、田辺抜書などを見ることができる。闘雞神社と熊楠の関係性について、結婚や神社合祀(ごうし)反対運動、田辺抜書などの題目別に紹介したコーナーもある。
熊楠は和歌山市の出身だが、米英で十余年を過ごした後の1904年、当時の田辺町に移り住み、74歳で亡くなるまでの37年間を田辺で過ごした。その間、田辺の住人として闘雞神社との関わりが生まれたが、生物学者、文献研究者としても神社の神宝(神域として保全された紀南の自然林と和漢の書籍)にゆかりができ、宮司の四女と結婚し、妻の実家が闘雞神社であるという縁を結ぶことにもなった。
闘雞神社書庫には、300余点の古典籍が収蔵されており、田辺の宗教的中心であるとともに知的・文化的拠点としての役割も担ってきた。熊楠にとっても知的好奇心を刺激する存在で、書庫から書籍を借り出して書写活動をするようになった。全61巻の抜書ノート(田辺抜書)を熊楠は晩年まで書き継いだ。顕彰館によると「田辺における熊楠の学問は、闘雞神社によって始まったといえる」という。
展示資料は計58点。闘雞神社の蔵書をはじめ、田辺祭の様子が描かれた絵巻の複製品(闘雞神社蔵)、1934年の田辺祭の際に撮影されたという組み写真(田辺市立図書館蔵)、田辺抜書などを見ることができる。闘雞神社と熊楠の関係性について、結婚や神社合祀(ごうし)反対運動、田辺抜書などの題目別に紹介したコーナーもある。