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ザ・ビートルズ:初期の“ハンブルク時代”を追体験するドキュメンタリー公開決定【上映館リストあり】

ドキュメンタリー『NO ハンブルク NO ビートルズ』12月6日より全国順次公開(C)2024 A BI Hamburg Production Ltd
ドキュメンタリー『NO ハンブルク NO ビートルズ』12月6日より全国順次公開(C)2024 A BI Hamburg Production Ltd
 誰もが知る伝説のロックバンド、ザ・ビートルズ。彼らの活動初期の約6年を時系列で追体験するドキュメンタリー作品『NO ハンブルク NO ビートルズ』が、12月6日より東京のヒューマントラストシネマ有楽町、池袋シネマ・ロサ、アップリンク吉祥寺ほか全国で順次公開される(※下段に現時点で決まっている上映館リストあり)。

【動画】ドキュメンタリー『NO ハンブルク NO ビートルズ』予告編

 ビートルズが英国のリヴァプール出身なのは周知の事実だが、生前ジョン・レノンは、「僕らはリヴァプールで生まれ、ハンブルクで育った」と語っていた。本作は、1960年のハンブルク初訪問の経緯から、63年の「プリーズ・プリーズ・ミー」のヒットを経て、66年の6回目の訪問までの“ハンブルク時代”を、元メンバーと関係者の証言やアーカイブ映像と音声、アニメーションなどを使って、まるで昨日のことかのように生き生きと蘇らせる。監督は、『ジョン・レノン 音楽で世界を変えた男の真実』のロジャー・アプルトン。

 1960年。若者に何か新しいものを提供したいと思っていたドイツ・ハンブルクのクラブオーナーたちは、水夫からイギリスではアメリカン・スタイルのロックンロールが演奏されていると聞き、アメリカより安く来られるイギリスからアーティストを招く。

 8月15日、ビートルズは、列車代や船代も出せず、ミニバスでハンブルクを初訪問。クラブで演奏するかと思いきや、ストリップクラブ「インドラ」で演奏することに。隣の映画館でベッドも照明も暖房もないところにユニオンジャックの旗を被って寝た。全員10代で、最年少のジョージ・ハリスンはわずか17歳で、世界最大の赤線地区の真ん中で演奏し、寝泊まりすることになる。ステージでは、人を引き付けるコツを徐々に学び、スタイルが確立。まさに、ハンブルクは学び場となった。

 「インドラ」で最初は無名だったが、1〜2週間後には混み合い、6週間後には近所からの苦情で、ライブ演奏が禁止になるほど話題に。そして、「カイザーケラー」で演奏できることになる。その後、トニー・シェリダン付きのバンドとして「トップテン」で演奏したいと申し出ると、「カイザーケラー」のマネージャーのコシュミーダーから「そうしたらドイツでは2度と働けなくしてやる」と脅された。メンバーは「あんたもね」と返すが、「トップテン」で演奏した初日にコシュミーダーは実際に警察にタレこみ、ポールとピートは起訴され、イギリスに強制送還される。

 1962年4月、ハンブルクの「スター・クラブ」のオープニングに呼ばれたビートルズだが、初めて飛行機に乗ってハンブルクに行くと、空港で待っていたのは、スチュアート・サトクリフの恋人、アストリッドのみだった。元メンバーの死を知るメンバーたち。8月には、ドラマーのピート・ベストが外され、リンゴ・スターに替わる。11月と12月にハンブルクを再訪し、大みそかを最後に「スター・クラブ」での公演を終えると、11日後に発売された「プリーズ・プリーズ・ミー」がイギリスで大ヒット。当時を知る者は口を揃えて言う。「ビートルズを作ったのはリヴァプールではない」と。

 後のインタビューでジョンは「ハンブルクではステージで寝たり、食べたり、悪態をついたりして、全くの“自然体”だった」と話すが、その後、「キャヴァーン」でのファンクラブナイトに参加したファンは、「ビートルズは全身レザーで登場したが、ワンセットが終わったら、スーツに着替え、その後レザー姿は見なくなった」と転換期を目の前で目撃したのだった。

 本作で、ポール・マッカートニーは「手錠でつながれ、囚人のように飛行機に乗せられた」という、強制送還となった事件の経緯を説明。脱退したスチュアート・サトクリフと付き合ったアストリッド・キルヒヘアは、初めてビートルズの演奏を見た経緯から、スチュアートが亡くなったのを知った際のジョン、ポール、ピート・ベストの三者三様のリアクションを詳細に語る。

 リトル・リチャードは、「ジョン・レノンのような人には会ったことがない」という楽屋でのエピソードを披露。ビートルズのレコードプロデューサーだったジョージ・マーティンは、ピート・ベストをリンゴ・スターに替えた理由を告白し、リヴァプールの「キャヴァーン」でのライブまでピートが外されたと知らなかった当時からのファンは、「ピート、フォーエバー。リンゴ、ネバー」と叫んだという当時の様子を回想する。

■現時点で決まっている上映館

北海道:サツゲキ(12月6日〜)
青森県:青森松竹アムゼ(12月27日〜)

東京都:ヒューマントラストシネマ有楽町(12月6日〜)
東京都:池袋シネマ・ロサ(12月6日〜)
東京都:アップリンク吉祥寺(12月6日〜)
東京都:MOVIX昭島(12月6日〜)
神奈川県:横浜シネマジャック&ベティ(12月14日〜)
栃木県:小山シネマロブレ(12月6日〜)
栃木県:宇都宮ヒカリ座(12月20日〜)
群馬県:シネマテークたかさき(1月17日〜)

富山県:ほとり座(近日公開)
新潟県:シネ・ウインド(近日公開)
新潟県:高田世界館(近日公開)
愛知県:ミッドランドスクエアシネマ(12月6日〜)
愛知県:ミッドランドシネマ名古屋空港(12月6日〜)

大阪府:なんばパークスシネマ(12月6日〜)
大阪府:テアトル梅田(12月6日〜)
大阪府:MOVIX堺(12月6日〜)
京都府:アップリンク京都(12月27日〜)
兵庫県:kino cinema神戸国際(12月20日〜)

岡山県:シネマ・クレール(1月3日〜)
広島県:横川シネマ(近日公開)
広島県:シネマ尾道(近日公開)
高知県:シネマ四国(12月20日〜)

福岡県:kino cinema天神(1月3日〜)
熊本県:Denkikan(近日公開)
大分県:別府ブルーバード劇場(12月13日〜)
宮崎県:宮崎キネマ館(1月24日〜)
鹿児島県:ガーデンズシネマ(12月6日〜)
沖縄県:桜坂劇場(近日公開)
沖縄県:ミュージックタウン音市場(近日公開)

■推薦コメント

▼ダイアモンド☆ユカイ(ロックシンガー/俳優)

 ハンブルグ時代のビートルズの映像は誰も見たことがない。当時ライブを見た人には、記憶の中にしか残っていない貴重な時代。残っているスタークラブのライブの音源と革ジャン&リーゼントの野性的な若きビートルズを撮ったユルゲン・フォルマーやアストリッド・キルヒヘルの写真から丁寧にビートルズの歴史をひもとくこの映画から、まだ無名の若きビートルズのエネルギーがどんなだったかを俺たちビートルズファンは想像するだけでワクワクしてしまう。まさに、これこそ、日本の歴史、本能寺の変のように永遠の歴史ロマンだね。

■杉真理(シンガーソングライター)

  運命の糸の中継地であったハンブルグ、その経験が演奏力につながったのは知っていましたが、それにも増して後にビートルズが見せるあの結束力は、壮絶なハンブルグ体験があったからこそだと、確信しました。無防備な若造があんな危険地帯に放り込まれたら仲間と一心同体になるしか無いし。そしてやっぱり若造のビートルズもカッコいい!

■川原伸司(レコード・プロデューサー、作曲家)

 ビートルズ史で語られるハンブルグのイメージは猥雑(わいざつ)で混沌としていて、あくまで個人的印象だが60年代の新宿歌舞伎町に港町本牧が隣り合わせたようなイメージで捉えてしまう。

 しかし、ドイツ本国ではハンブルグは昔から放送、新聞を始めとしたメディアの中心地であり、多くのコンサートホールや美術館を有する芸術的文化都市としての側面が大きい。日本と同じ第2次世界大戦の敗戦国であるドイツのヨーロッパでは最大の港町であり、戦後間もない時期に反ファシズムから、実存主義者の若者たちが引き寄せられるようにこの街に集まり、戦後の自由都市ハンブルグを築き上げる礎を築いたのである。

 ビートルズの4人もその空気を浴びることによって「自由」とは“好き勝手に生きる”ことではなく、“なりたい自分になり、言動、行動の責任を自分で取る”という、自由な生き方の本質をこの街から学んだのだろう。本能的で粗野だったロックン・ロールを、大衆芸術にまで高めた彼らの音楽的理想の原点がここにはある。



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