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語り継ぐ記憶(5)/東 弘幸(ひがし ひろゆき)さん(86)/田辺市本宮町/「遺骨箱にリンゴ3個」

東弘幸さん
東弘幸さん
 「国民学校に入学し、初めて防空壕(ごう)に逃げ込む訓練をした時、女児用の防空壕に入ってしまい、女の子から責められた」。ささいな失敗でも幼心に傷として残るような、張り詰めた空気感が漂う重苦しい世相だったと振り返る。

 三重県御浜町の農家に4人きょうだいの長男として生まれた。学校の運動場はサツマイモ畑になり、くわを振るうなど児童も農作業を手伝ったが「都市部から疎開して来た子にはつらい作業だった」という。

 当時、天皇は「神様」といわれ、校長室には天皇、皇后両陛下の写真が飾ってあった。「校長室へは入退室時だけでなく、ずっと頭を下げっぱなし。写真を見た記憶がない」。そんな時代だった。

 戦況の悪化で田舎でもぴりぴりとした雰囲気が強まり、父親が庭にあった直径約70センチのイチョウを切り倒すことになった。「周りから米軍機の搭乗員の目につくと言われたようだ」

 自宅から約4キロの所に爆弾が落ちた。身近で爆撃はなかったが「上空を飛行する米軍の大型爆撃機B29の編隊を何度も目撃し、そのたびに爆撃されるのではとびくびくした」と話す。

 時々、米軍機からきらきら光る物が落ちて来た。丸い棒に薄いテープが取り付けてあった。「電波妨害用のものと聞かされた。近づくと『拾ったらあかん』と怒られた」という。

 父親は戦地に2度赴き病気で帰郷したが、叔父2人は海外で戦死した。指が1本、別のにはリンゴ3個が入った、きりの二つの遺骨箱を抱いていた祖母の姿が忘れられない。

 「戦争の理不尽さを肌で感じた経験がない人は、話を聞いても実感が伴わないでしょう。しかし、今私たちが享受している平和という幸せがいかにしてもたらされたか、いかにもろいものであるか、真剣に考えてほしい」と願っている。

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