【動画】熊野15一絵(4)新宮市/神倉神社の夜明け
夜明けとともに太陽が東の空を赤く染め、次第に朱塗りの社殿と、ご神体である巨岩「ゴトビキ岩」を浮かび上がらせる。
太平洋に臨み、遮るものが少ない新宮・東牟婁には日の出の名所が多いが、標高約90メートル、市街地を一望できる神倉神社からの夜明けは、歴史の重みが感じられる分、よりドラマチックだ。
熊野速玉大社の摂社である。神代のころ、熊野の神々がまず初めに神倉山のゴトビキ岩に降臨したといわれ、神武天皇も登ったとされる。
毎年2月6日、たいまつを持った白装束の男たちが駆け下る勇壮な火祭り「御燈(おとう)祭り」(重要無形民俗文化財)の舞台としても有名だ。
ゴトビキ岩までの参道には、鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝(1147~99)が寄進したと伝わる、538段の石段がある。途中、勾配が急な場所があり、体力がある人でも一気に上り切るには骨が折れる。撮影や取材のたびに上っているが、息が切れても、それだけの価値は十分にある。
(牧康宏)
=随時掲載
太平洋に臨み、遮るものが少ない新宮・東牟婁には日の出の名所が多いが、標高約90メートル、市街地を一望できる神倉神社からの夜明けは、歴史の重みが感じられる分、よりドラマチックだ。
熊野速玉大社の摂社である。神代のころ、熊野の神々がまず初めに神倉山のゴトビキ岩に降臨したといわれ、神武天皇も登ったとされる。
毎年2月6日、たいまつを持った白装束の男たちが駆け下る勇壮な火祭り「御燈(おとう)祭り」(重要無形民俗文化財)の舞台としても有名だ。
ゴトビキ岩までの参道には、鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝(1147~99)が寄進したと伝わる、538段の石段がある。途中、勾配が急な場所があり、体力がある人でも一気に上り切るには骨が折れる。撮影や取材のたびに上っているが、息が切れても、それだけの価値は十分にある。
(牧康宏)
=随時掲載