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熊野古道 息づく伝承を訪ねて(4)切目王子(印南町西ノ地)/平家繁栄の転換地

切目王子(切目神社)の社殿と、初代紀州藩主徳川頼宣が植えたと伝えられるナギの木=印南町西ノ地で
切目王子(切目神社)の社殿と、初代紀州藩主徳川頼宣が植えたと伝えられるナギの木=印南町西ノ地で
切目王子地図
切目王子地図
 平家の繁栄はひとえに熊野権現の御利益であるとうわさされた―と「平家物語」にあるほど、熊野と平家との縁は深い。清盛ら平家一門は何度か熊野を詣でており、各地に伝説が残っている。

 中でも印南町西ノ地の「切目王子」(切目神社)は、平氏と源氏が敵対し、平家が隆盛を極めるきっかけとなった「平治の乱」を語る上で欠かせない重要な場所である。

 軍記物語「平治物語」によると、平治元(1159)年12月、清盛が嫡男重盛や家来らを伴って熊野に参詣した際、切目王子まで来たところで早馬が追い付き、源義朝らが京の都で挙兵したことを知らされる。清盛らは即座に会議を開き、直ちに京へ引き返すことを決め、義朝らを打ち破った。清盛は引き返す際に境内のナギの葉を左袖に入れ、熊野権現に勝利を祈願した、とも伝えられる。

 「中世の歴史の転換がここ切目で起こったかと思うと、ロマンがかき立てられる。なんだかわくわくしますよね」。王子を案内してくれた印南町文化協会会長の坂下緋美さん(78)=印南町印南=はそういって目を輝かせた。

 王子の由緒を記した立て看板には、豊臣秀吉の紀州攻めで当時の社は1585年に焼失したが、氏子らにより1592年に再興されたとある。坂下さんによると、その際、当時の場所よりも海寄りの現在地に移転したという。

 清盛が手にした木ではないが、拝殿の横には紀州徳川家の初代藩主徳川頼宣が350余年前に手植えしたと伝わるナギの木が数本、まっすぐに立っている。熊野のご加護がありますように―。その濃い緑の葉を目に焼き付け、王子を後にした。(中沢みどり)

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