熊楠資料4900点寄贈 顕彰館初代館長の中瀬さん遺族
南方熊楠顕彰館(和歌山県田辺市中屋敷町)の初代館長を務めた故・中瀬喜陽(なかせ・ひさはる)さんの遺族が18日、中瀬さんが所蔵していた熊楠などの資料4879点を顕彰館に寄贈した。顕彰館は研究に使えるよう資料を整理する。
中瀬さんは上富田町出身で、中学校や高校で国語教師を務める傍ら、ライフワークとして熊楠を研究。熊楠直筆の書簡を読解、翻刻したり、膨大な資料を整理したりして顕彰事業に貢献した。2002年に田辺市文化賞、13年には県文化功労賞、南方熊楠特別賞など多くの受賞歴がある。
顕彰館では06年5月の開館時から12年3月まで館長を務め、18年3月に85歳で亡くなった。周囲からは親しみを込めて「きようさん」と呼ばれた。
顕彰館での寄贈式には、妻の久(ひさ)さん(87)=田辺市在住=と長男の雅夫さん(52)=和歌山市=が出席。松居竜五館長(57)に目録を手渡した。
遺族が寄贈した資料は、市内の自宅にあった蔵書や雑誌、新聞の切り抜きなど。1925(大正14)年1月ごろに熊楠が書いた書簡は約20センチ四方で、猫の絵や俳句を記している。39(昭和14)年発行の雑誌「ドルメン」には、熊楠の署名がある。
さらに遺族は、市の「熊楠翁顕彰基金」(くまぐす募金)へ50万円を寄付した。
雅夫さんは「今後の顕彰活動に生かしていただけると父も喜ぶはず。世界へ情報を発信してもらえるとうれしい」と話した。
松居館長は「貴重な資料を頂くことになり、大変ありがたい。中瀬先生は顕彰館の〝生みの親〟であり、私たちにとっての大恩人。遺志を継いで、今後も顕彰に努めたい」と感謝した。
遺族がこの時季に寄贈したのは、中瀬さんが俳句にも造詣が深く、「熊楠忌」(12月29日)を季語にしようと取り組んでいたことを踏まえたためだという。
中瀬さんは上富田町出身で、中学校や高校で国語教師を務める傍ら、ライフワークとして熊楠を研究。熊楠直筆の書簡を読解、翻刻したり、膨大な資料を整理したりして顕彰事業に貢献した。2002年に田辺市文化賞、13年には県文化功労賞、南方熊楠特別賞など多くの受賞歴がある。
顕彰館では06年5月の開館時から12年3月まで館長を務め、18年3月に85歳で亡くなった。周囲からは親しみを込めて「きようさん」と呼ばれた。
顕彰館での寄贈式には、妻の久(ひさ)さん(87)=田辺市在住=と長男の雅夫さん(52)=和歌山市=が出席。松居竜五館長(57)に目録を手渡した。
遺族が寄贈した資料は、市内の自宅にあった蔵書や雑誌、新聞の切り抜きなど。1925(大正14)年1月ごろに熊楠が書いた書簡は約20センチ四方で、猫の絵や俳句を記している。39(昭和14)年発行の雑誌「ドルメン」には、熊楠の署名がある。
さらに遺族は、市の「熊楠翁顕彰基金」(くまぐす募金)へ50万円を寄付した。
雅夫さんは「今後の顕彰活動に生かしていただけると父も喜ぶはず。世界へ情報を発信してもらえるとうれしい」と話した。
松居館長は「貴重な資料を頂くことになり、大変ありがたい。中瀬先生は顕彰館の〝生みの親〟であり、私たちにとっての大恩人。遺志を継いで、今後も顕彰に努めたい」と感謝した。
遺族がこの時季に寄贈したのは、中瀬さんが俳句にも造詣が深く、「熊楠忌」(12月29日)を季語にしようと取り組んでいたことを踏まえたためだという。