柔道人生や教訓語る 五輪3連覇の野村さん
柔道史上初のオリンピック3連覇を達成した柔道家、野村忠宏さんの講演会が11月29日、和歌山県田辺市扇ケ浜に完成した市立武道館・植芝盛平記念館であった。野村さんは柔道人生を振り返り、「さまざまなことに挑戦し、夢中になれるものを見つけてほしい」と呼び掛けた。
開館を記念した講演会で、演題は「折れない心」。当初は10月10日の予定だったが、台風の影響で延期していた。市民ら約300人が聴講した。
野村さんは柔道一家に生まれて3歳から柔道を始め、40歳まで続けた。長く続けられことについて、好きで夢中になった▽輝ける舞台だった▽環境が良かった―の3点を挙げ、とりわけ子ども時代については「祖父が開く道場では伸び伸びと好きになるよう楽しませてくれた。親は水泳やサッカー、野球にも挑戦させてくれたが、柔道が一番合っていると自分の意思で決めた」と振り返った。
中学校、高校と柔道の名門校に進んだが、思うような成績は残せなかった。中学最初の試合では女子に負け、体が小さかったことでコンプレックスも持ち続け、「このまま続けていけるのか」と悩んだ時期もあったことにも触れた。その迷いを吹き飛ばしたのが「無理して柔道せんでもええぞ」という父の言葉で、「反骨心が沸き起こり、続けることを決めた」と当時の思いを紹介した。
大学に入ってからも目立った成績を残せなかったが、コーチの「頑張っているけど、時計を見ながらやっている」という指摘を受け、後のことは気にせず目の前の1本に集中して力を出し切るように意識改革したことを紹介した。
大学4年生からオリンピック3連覇を果たしたことについては「普段の練習の中で準備し、試合で出し切るようにした。試合では、常に前に出る、ピンチを顔に出さない、絶対諦めないことを心掛けた。途中でルールの変更などいろいろな変化があり、それに対応することも必要だった」と振り返った。
最後に「柔道を通して多くの経験を積み、学ぶことができた。合気道も柔道も理念は重なることがいっぱいある。大切なことを伝えていければと思う」とこれからの人生について語った。指導者や親に向け「子どもたちに夢中になるものを与えてあげてほしい」と呼び掛けた。
講演終了後、柔道をする女子中学生から、試合前に緊張しないための方法を質問され、野村さんは「緊張するのは悪いことではない。それだけ本気だということ。ただ引きずらないで、プラスのイメージを持つことが大事」と助言した。
開館を記念した講演会で、演題は「折れない心」。当初は10月10日の予定だったが、台風の影響で延期していた。市民ら約300人が聴講した。
野村さんは柔道一家に生まれて3歳から柔道を始め、40歳まで続けた。長く続けられことについて、好きで夢中になった▽輝ける舞台だった▽環境が良かった―の3点を挙げ、とりわけ子ども時代については「祖父が開く道場では伸び伸びと好きになるよう楽しませてくれた。親は水泳やサッカー、野球にも挑戦させてくれたが、柔道が一番合っていると自分の意思で決めた」と振り返った。
中学校、高校と柔道の名門校に進んだが、思うような成績は残せなかった。中学最初の試合では女子に負け、体が小さかったことでコンプレックスも持ち続け、「このまま続けていけるのか」と悩んだ時期もあったことにも触れた。その迷いを吹き飛ばしたのが「無理して柔道せんでもええぞ」という父の言葉で、「反骨心が沸き起こり、続けることを決めた」と当時の思いを紹介した。
大学に入ってからも目立った成績を残せなかったが、コーチの「頑張っているけど、時計を見ながらやっている」という指摘を受け、後のことは気にせず目の前の1本に集中して力を出し切るように意識改革したことを紹介した。
大学4年生からオリンピック3連覇を果たしたことについては「普段の練習の中で準備し、試合で出し切るようにした。試合では、常に前に出る、ピンチを顔に出さない、絶対諦めないことを心掛けた。途中でルールの変更などいろいろな変化があり、それに対応することも必要だった」と振り返った。
最後に「柔道を通して多くの経験を積み、学ぶことができた。合気道も柔道も理念は重なることがいっぱいある。大切なことを伝えていければと思う」とこれからの人生について語った。指導者や親に向け「子どもたちに夢中になるものを与えてあげてほしい」と呼び掛けた。
講演終了後、柔道をする女子中学生から、試合前に緊張しないための方法を質問され、野村さんは「緊張するのは悪いことではない。それだけ本気だということ。ただ引きずらないで、プラスのイメージを持つことが大事」と助言した。