高塩分と低塩分のイカ塩辛の製造過程における代謝産物と細菌群の変化を解明〜伝統的水産発酵食品の風味の特徴を科学的に分析〜--北里大学
イカ塩辛は、わが国を代表する伝統的な水産発酵食品の一つです。伝統的な製法で作られたイカ塩辛は高塩分、常温で熟成される風味豊かな水産発酵食品である一方で、現在市場で主に流通するイカ塩辛は低塩分で、製造から輸送まで低温管理されています。北里大学海洋生命科学部の水澤奈々美特任助教、渡部終五客員教授らと、鈴廣かまぼこ株式会社の基礎研究機関「魚肉たんぱく研究所」の植木暢彦所長らの研究グループは、高塩分と低塩分の2種類のイカ塩辛における製造過程中の代謝産物の組成と細菌叢の変化を、メタボローム解析とメタゲノム解析により包括的に調査しました。この成果は、2024年12月23日付で、アメリカ化学会の食品科学技術誌“ACS Food Science & Technology”誌に掲載されました。
■研究成果のポイント
・風味に関する代謝産物の違い
伝統的な高塩分イカ塩辛の製法では、低塩分の製法と比べて、遊離アミノ酸やジペプチド、有機酸などの代謝産物が顕著に増加し、イカ塩辛特有の深い味わいを形成することが示唆されました。
・細菌叢の変化
製造初期は両製法ともにVibrio属やPsychrobacter属の細菌が見られましたが、高塩分の製法では、発酵が進むにつれてStaphylococcus属が優占化していきました。一方、低塩分の製法では、細菌叢の変化はほとんど起こりませんでした。
・現在流通している低塩分の塩辛は、伝統的な高塩分のイカ塩辛とは風味に関わる成分の組成や細菌叢が大きく異なることが明らかとなりました。
■研究の背景
イカ塩辛は、わが国における代表的な水産発酵食品の一つです。伝統的な塩辛は高塩分であり、通常、12〜15%の高い塩分で作られます。この高塩分処理により、腐敗菌の増殖が抑えられる一方で、Staphylococcus属などの発酵に関わる細菌が増殖することが報告されています。また、内在性のタンパク質分解酵素の作用(自己消化)も進み、遊離アミノ酸や有機酸が増加して独特の風味が形成されると言われています。しかし、近年の健康志向の高まりにより、塩分を控えた食品への需要が増加しています。これを受け、現在、市場で主に流通しているのは低塩分(5%程度)の塩辛となっています。この低塩分のイカ塩辛は塩分が低いことから塩による腐敗菌の抑制が十分でないと考えられ、製造から流通まで冷蔵して管理することが必要とされています。しかし、低温環境では発酵や酵素の活性が抑制されることから、伝統的なイカ塩辛の製法で得られるような豊かな風味が損なわれることが懸念されています。
これまで、伝統的な高塩分イカ塩辛と低塩分イカ塩辛の製造過程中の代謝産物の組成の変化や細菌叢の動態について包括的に比較分析した研究はありませんでした。そこで、本研究では、2種類のイカ塩辛の代謝産物や細菌の変化を解明し、製造方法の違いが風味に及ぼす影響を科学的に明らかにすることを目的としました。
■研究内容と成果
本研究では、日本の伝統的な水産発酵食品であるイカ塩辛について、高塩分(塩分12%、25℃保存)および低塩分(塩分5%、5℃冷蔵保存)の2種類の製造過程を比較しました。この比較を通じて、両者の代謝産物の組成の変化および細菌叢の違いを包括的に分析し、風味の形成のメカニズムを探りました。
1)代謝産物組成の変化
高塩分製法では、発酵および自己消化中に遊離アミノ酸、ジペプチド、有機酸などが顕著に増加し、伝統的イカ塩辛独特の深い味わい(風味、味と香り)を形成することが確認されました【図1】。一方、低塩分の製法では、これらの代謝産物の変化は抑制され、風味は製造過程中にほとんど変化していないと考えられました【図1】。
2)細菌叢の変化
製造初期は両製法ともにVibrio属やPsychrobacter属の細菌が見られましたが、高塩分の製法では発酵が進むにつれてStaphylococcus属が優占化していきました【図2A】。低塩分の製法では細菌叢の変化はほとんど起こっておらず、Vibrio属が優占化したままでした【図2B】。
3)官能検査
官能検査を用いて高塩分と低塩分のイカ塩辛の風味を比較したところ、高塩分イカ塩辛は低塩分イカ塩辛と比べて、甘味が弱い一方で、塩味、旨味、こく味が強いと評価されました。
この研究は、高塩分製法と低塩分製法のイカ塩辛の代謝産物の組成や細菌叢の変化を科学的に明らかにし、伝統的水産発酵食品の製造方法が風味形成に及ぼす影響の一端を明らかにしました。【図3】
■今後の展開
本研究で行われた網羅的解析により、伝統的な高塩分イカ塩辛と低塩分イカ塩辛の製造過程中の代謝産物の組成や細菌叢の変化が明らかとなりました。今後は、伝統的なイカ塩辛の持つ独特の風味を特徴づける成分の解明を目指します。また、現在流通する低塩分イカ塩辛は、風味の不足を補うためさまざまな工夫がなされていますが、この低塩分イカ塩辛がどのような風味の特徴を持つのかは明らかではありません。その特徴を明らかにするとともに、伝統的なイカ塩辛を特徴づける風味成分を特定することは、健康的で味わい深い新たなイカ塩辛の開発につながります。この研究を通じて、わが国の食文化の豊かさを示し、健康的な食生活に貢献することを目標とします。
■論文情報
掲載誌:ACS Food Science & Technology
論文名:Changes in Metabolite Concentrations and Bacterial Community of Salted and Fermented Squid Shiokara During Processing
著 者:水澤奈々美(北里大学)、大内大輔(北里大学)、西村幹太(北里大学)、安元 剛(北里大学)、神保 充(北里大学)、植木暢彦(鈴廣蒲鉾本店)、松岡洋子(鈴廣蒲鉾本店)、万 建栄(鈴廣蒲鉾本店)、横山雄彦(北里大学)、渡部終五(北里大学)
DOI:10.1021/acsfoodscitech.4c00348
・本研究は、(独)日本学術振興会(JSPS)の科研費(18K05828)および東洋水産財団の支援を受けて実施しました。
■用語解説
※メタボローム解析(図1参照)
試料中に含まれる代謝産物の種類と量を網羅的に解析する手法。
※メタゲノム解析(図2参照)
試料中に存在するさまざまな微生物のゲノムDNAを網羅的に解析する手法。どのような微生物が試料中にいるのかを明らかにできる。
■問い合わせ先
【研究に関すること】
北里大学海洋生命科学部
特任助教 水澤 奈々美
e-mail:nmizusaw@kitasato-u.ac.jp
【報道に関すること】
学校法人北里研究所 広報室
TEL:03-5791-6422
e-mail:kohoh@kitasato-u.ac.jp
【リリース発信元】 大学プレスセンター https://www.u-presscenter.jp/
プレスリリース詳細へ https://digitalpr.jp/r/101699