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作曲家の浜圭介氏、妻・奥村チヨさんとの「鳥肌」の出会いなど語り尽くす 事務所クビの過去も

『森田健作アワー 人生ケンサク窓』(左から)森田健作、浜圭介
『森田健作アワー 人生ケンサク窓』(左から)森田健作、浜圭介
 前千葉県知事で俳優・森田健作(74)がホストを務める、BS日テレ『森田健作アワー 人生ケンサク窓』(毎月第2・4土曜 前9:00)に、作曲家の浜圭介氏(78)がゲスト出演することになり、このほど収録が行われた。10月12、26日放送回に登場する。

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 浜氏は旧満州の出身で、中学3年の時に「歌い手としての道で生きたい」と思い、日本テレビの歌謡コンテスト番組に出場したところ見事に1位に輝いたことから札幌の高校を中退して上京。今年は歌手としてデビューして60周年、さらに来年は作曲活動60周年となる。「歌手を目指して上京してきたけど、まさか作曲家になるとは思わなかった」と振り返り、森田から音楽について聞かれると「努力なくして運は育たないと思う」と持論を語った。

 「物心ついた頃からラジオから流れてくる歌謡曲が好きで歌っていたんですよ。ただ、中学に入ったらプレスリーにはまって、プレスリーのようになりたいなんて思ったりしていました。で、高校に入ってからは札幌のジャズ喫茶で歌っていました。その後に上京したのですが、その時に渡辺プロからスカウトされたんですよ。ただ、その時はお断りしたんですけどね」。森山加代子さんの付き人などで生計を立て、東京五輪の開かれた1964年に芸名・牧宏次として「波止場のロック」で念願のデビューを果たした。

 浜氏は「全く売れませんでした。そこで、独学でしたが作曲の勉強を始めたり他のですが、再び、歌手の話が舞い込み今度は自ら作詞・作曲した『これが哀さ』と言う曲を大木賢の名前で出したところ、今度は少し売れて、それこそ週刊誌の取材が来たり、グラビアまでやるようになり、気持ち的に有頂天なってしまったことから契約のことで事務所とトラブルになって。事務所には反発して生番組をボイコットしたのですが、それが原因でクビになっちゃったんです」と明かす。その後、浜圭介として作曲活動を始めたが、一方で浜真二として「女の道」で3度目の歌手デビュー(70年)もあった。

 「作曲家になろうとは思わなかったけど、曲は作ってましたよ。ジャズから歌謡曲まで幅広かったと思いますが、一時は月に30曲以上は作ったと思いますね。ただね、曲の依頼もあったのですが、なかなか納得した曲ができなかったことも確かでしたね」という。その運命を変えたのが、奥村チヨさんとの出会いだった。「曲の依頼が来て、まず(千家和也さんの)詞を見た瞬間、鳥肌が立ちまししたね。『これは売れる』って直感したんです」。そこで生まれた曲が「終着駅」だった。同曲は爆発的な大ヒットとなり、それがキッカケで74年に奥村さんと結婚した。

 浜氏は「舟唄」「雨の慕情」「哀しみ本線日本海」「そして、神戸」「石狩挽歌」など、多数のヒット曲を送り出してきたが、番組では堺正章の「街の灯り」(73年)で日本レコード大賞作曲賞を受賞したことや、作詞家のなかにし礼さんや阿久悠さん、さらには作曲家の三木たかしさんの出会などについても語る。

 森田には「銀河の約束」(74年)を提供している。森田から「歌は聴かせるものじゃなくって、実は伝えるものだと思う」と言われると、浜詩は「もう3000曲以上は作ってきたと思うけど、『石狩挽歌』はメロディーがい浮かばなくて1ヶ月かかった。最終的には『ソーラン節』を続きを書くような気持ちで作った。八代亜紀さんの『舟唄』などは、今でも自分が作ったとは思えないですね。とは言っても、僕にとって音楽は生きるための肥やしかもしれません」などと語る。

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