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紀州徳川家19代当主が白浜巡る 別邸の井戸や貝寺を見学

紀州徳川家「御殿」の井戸(中央下)を見学する徳川宜子さん(中央)=和歌山県白浜町で
紀州徳川家「御殿」の井戸(中央下)を見学する徳川宜子さん(中央)=和歌山県白浜町で
 紀州徳川家の第19代当主で建築家の徳川宜子(ことこ)さん=千葉県松戸市=が、同家と縁の深い和歌山県白浜町の瀬戸地区を訪れた。地元関係者らの案内で、かつて同地区にあった同家別邸「御殿」の井戸や、「本覚寺」(貝寺)などを巡った。


 宜子さんはこれまで、何度も町を訪れているが、瀬戸地区は初めて。仕事関係者が橋渡しをした。瀬戸部長で本覚寺総代長の田井勇さん(79)や本覚寺の山岡龍史住職(46)らが迎え、地区内にある京都大学白浜水族館や南方熊楠記念館も見学した。

 田井さんらによると、温泉が好きだったと伝わる紀州徳川家の初代・徳川頼宣(1602~71)=徳川家康の十男=は、水軍の調練を主な目的として、白浜を何度も訪れ、長期滞在したという。現在、南方熊楠記念館がある「番所山」は、紀州藩が外国船の見張り場所としていたことが名前の由来になっている。

■頼宣ゆかりの御殿

 頼宣は、1650年に「御殿」を建設。現在、建物はなくなっているが、井戸が残っている。この地域は通称「御殿谷」と呼ばれている。

 また、鉄砲の名手9人が「御殿」を守っていたと伝わっており、その子孫は今でも「九軒」という姓を名乗っているという。

 本覚寺には、頼宣をはじめ、5代吉宗(8代将軍)ら歴代藩主が訪れており、藩主の位牌(いはい)をまつっている。徳川家の葵紋付きの幕、ちょうちん、仏具などの寄進を受けているほか、本堂の瓦や柱には、葵の紋が施されている。

 宜子さんは各所の見学を終え、「紀州徳川家は頼宣公が元和5(1619)年に紀州に転封されてから今年で404年になり、その間のさまざまな記憶が藩内に残されている。今回訪ねた本覚寺や紀州徳川家別邸井戸など有形なものと、そこに込められた無形な思いが、歴史の記憶として現代に生きる私共の前に現れてきているのだと思う。今でも紀州徳川家の記憶の場を地元の皆さんが守ってくれていることに感謝する」と語った。

 田井さんは「頼宣公が作ってくれた網のおかげで大量のボラが取れ、瀬戸が潤ったという話や、紀州徳川家のおかげで本覚寺の格が上がったなど、瀬戸はこれまで数々の恩恵を受けてきたと伝わっている。今も感謝の気持ちを持っている。現当主が訪れてくれたことは非常に感慨深い」と話していた。

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