【紀南探検隊】パート9(2)まるでゴリラの横顔/田辺市長野の岩山「大倉」
和歌山県田辺市長野に、ゴリラに見える岩山がある――。そんな話を聞き、現場に向かった。
探検隊に連絡をくれたのは、同市伏菟野の松崎晃さん(70)。自宅に牛乳を届けてくれているみなべ町芝の配達員、庄司勲生さん(72)からそう聞いて以来「ゴリラ岩」にしか見えなくなったそうだ。
確かにおでこの出っ張り具合、鼻から口にかけてのラインなど、右を向いたゴリラの顔のように見える。
長野の歴史に詳しい元町内会長の那須豊平さん(72)によると、この岩山は「大倉」といい、かつては景勝地として田辺のまちからも人が訪れたという。江戸時代に紀州藩がまとめた「紀伊続風土記」や、1936年に発行された「長野村郷土誌」にも大倉を紹介する文章が載っている。
「大倉」はまた、信仰の山でもある。
それを物語るように山の中腹、ちょうどゴリラのおでこの下辺りの岩のくぼみには、役行者の石像が祭られているそうだ。かつては木像だったが、長年の風雨で朽ちたため、地元の人たちが「郷土誌」が発行された36年に再建したという。
しかし、その役行者像を見に行くには、左会津川を渡らなければならない。「お参りしたことがある人は、今では地元でも数人しかいないよ」と那須さん。雨の少ない時期なら足首ぐらいの水深というが、ぬれたらきっと冷たいだろうな……。
道なき道を行ってこそ、探検隊と思いつつ、今回は断念。暖かくなったら挑戦しましょうと、那須さんと約束した。 (中沢みどり)
探検隊に連絡をくれたのは、同市伏菟野の松崎晃さん(70)。自宅に牛乳を届けてくれているみなべ町芝の配達員、庄司勲生さん(72)からそう聞いて以来「ゴリラ岩」にしか見えなくなったそうだ。
確かにおでこの出っ張り具合、鼻から口にかけてのラインなど、右を向いたゴリラの顔のように見える。
長野の歴史に詳しい元町内会長の那須豊平さん(72)によると、この岩山は「大倉」といい、かつては景勝地として田辺のまちからも人が訪れたという。江戸時代に紀州藩がまとめた「紀伊続風土記」や、1936年に発行された「長野村郷土誌」にも大倉を紹介する文章が載っている。
「大倉」はまた、信仰の山でもある。
それを物語るように山の中腹、ちょうどゴリラのおでこの下辺りの岩のくぼみには、役行者の石像が祭られているそうだ。かつては木像だったが、長年の風雨で朽ちたため、地元の人たちが「郷土誌」が発行された36年に再建したという。
しかし、その役行者像を見に行くには、左会津川を渡らなければならない。「お参りしたことがある人は、今では地元でも数人しかいないよ」と那須さん。雨の少ない時期なら足首ぐらいの水深というが、ぬれたらきっと冷たいだろうな……。
道なき道を行ってこそ、探検隊と思いつつ、今回は断念。暖かくなったら挑戦しましょうと、那須さんと約束した。 (中沢みどり)