和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報

2021年10月20日(水)

廃校舎の物語(99)/川添中学校(白浜町市鹿野)/開校当時は寄宿舎併設

中庭があった旧校舎。今の川添山村活性化支援センターと川添診療所の付近にあった。中学校には珍しい寄宿舎も近くにあった(白浜町立川添中学校編集・発行「六十年のあゆみ」より)
中庭があった旧校舎。今の川添山村活性化支援センターと川添診療所の付近にあった。中学校には珍しい寄宿舎も近くにあった(白浜町立川添中学校編集・発行「六十年のあゆみ」より)
閉校当時のまま残っている校舎。月1回、地元の女性グループが家庭料理を提供する「川添カフェかーちゃんの里」の会場として利用していた
閉校当時のまま残っている校舎。月1回、地元の女性グループが家庭料理を提供する「川添カフェかーちゃんの里」の会場として利用していた
元川添中学校地図
元川添中学校地図
 元の川添中学校は元の市鹿野小学校の隣にある。閉校となった2007(平成19)年までの60年間に約1500人の卒業生が巣立った。校舎と体育館は今も残っている。校区は広く、遠く古座川町と接する場所もあったため、川添村だった開校当時はしばらくの間、寄宿舎があった。

 今も残る校舎の近くにあった青年会館を借りて1947(昭和22)年に開校した。翌年には小学校の旧校舎1棟を借り、生徒の増加に対応した。それでも不足したため、51(昭和26)年、近くに木造平屋の校舎を新築した。

 場所は現在、川添山村活性化支援センターと川添診療所がある辺り。中庭もあって、しゃれた雰囲気の校舎だったそうだ。校舎前の運動場は村民や生徒が総出で整備した。

 木造平屋の寄宿舎は小学校の古い校舎を借り、整備し直した。廊下を境に男女別に部屋が分かれていた。

 日置川支流の将軍川流域の上露、大瀬、北谷、竹垣内地区の生徒たちが、多い時には20人前後入っていた。

 大瀬地区出身の奥平修子さん(65)=田辺市東山2丁目=は「70(昭和45)年に大瀬小学校が閉校になり、通学バスの運行が始まったので、3年生の時はそれに乗って自宅から通った。寄宿舎はこの年でなくなったと思う。玉伝や大地区からの人は自転車通学だったが、上り坂が続くので大変だったと思う」と話す。

 学校から12キロ離れた北谷地区出身の中村友和さん(67)=白浜町緑光台=は「先生が舎監として泊まってくれていた。夕食後は午後9時までが自習。その後、布団を敷いて寝た。試験などの時は延灯となり長く勉強することができた」と教えてくれた。