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(3)いまを生きる廃校舎

《鶏頭の紅の くれない なか夏と秋がゆるく絡める隣りあう腕》


 すさみ町の宿を発ち、大辺路の三つ目の坂、長井坂へ向かった。国道42号を左に入り、海を背にして山への道を登ってゆく。

 暗い植林地を過ぎると、急に開けて空き地が広がった。すぐに、学校の跡地と分かった。校庭の隅に、蔦の絡んだすべり台とジャングルジム。桜の老木のそばに碑が立っていた。

 「協和小学校跡」。開校明治25年、閉校昭和48年。そして「春は緑につつまれて 秋は紅葉にいろどられ」で始まる校歌の詞が刻まれている。

 木造、瓦屋根の校舎も残っている。窓枠も木。ひと目見て懐かしさを感じる、箱のような建物だ。

 中をのぞいた。教室の壁を取り払った空間は作業場になっていて、真ん中に、木で作られた真新しい和船の模型が置かれていた。祭りか行事で使う舟、精霊舟かもしれない。ほかにもイベントで使われたらしい看板や道具類があった。地域の作業小屋兼資材置き場になっているようだ。

 隣のひと回り小さい建物ものぞいてみた。額に入った賞状類が天井近く掲げられている。職員室だろうか。

 感謝状がある。「昭和三十九年六月十日昼頃すさみ町和深川西谷隧道で発生した鉄道沿線の火災に際して早期に発見通報する一方教職員の適切な指導のもと多数の生徒が一致協力して適切な消火活動を行った」功労を讃え、警察消防連絡協議会長から贈られている。「複式学級の効果的な学習指導」に対する彰状もある。

 「もの」が残ることの素晴らしさを、あらためて思う。初めて通り掛かったゆきずりの私でも、この校舎で過ごした子どもたちと先生たちの日々を、想像の中で再現することができる。建物に新たな役割を与え、現役で生かしているのも素晴らしい。廃校にまつわるさみしさは、ここでは感じない。学校は今も、人と一緒にいる。

 学校を出ると道は下り坂になった。緩い斜面を利用した棚田が一面に広がる。丘の上の、集落で一番高い所に学校が建っているのだ。学校からは集落の田や家々がすべて見渡せ、集落のどこからでも学校が見える。かつて日本中の山里で見られた、典型的な構造といえる。

 田の中に立ち働く人々の姿がある。彼らも協和小の卒業生だろうか。

 なぜか恋しい気持ちになって、丘の上を振り向き振り向き、歩いた。学校は少しずつ小さくなりながら、いつまでもそこにあった。

《かたつむり朝を歩いて詩碑の字の「緑」のあたりやすらっている》





山あいに水田が広がる

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