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(2)先人たちと対話しつつ

《〈時間〉とはフィクションそれともノンフィクション時計より陽(ひ)の角度を信じ》



 ウグイスが鳴いている。ホーホケキョはもうマスターしたが、続く長いさえずりの部分はまだ危なげで、三連音符のところを、おさらいするようにゆっくり何度も繰り返している。

 剣ノ山経塚跡を過ぎると、古道両側の林相は、杉林からシダやササ、椿(つばき)のやぶ、また杉林から落葉広葉樹のように刻々と変わる。そのたび、木々を透かして道に落ちる陽光の模様も変化して、美しい。

 やがて石畳が現れた。もし、何の道しるべもなく、ここが古道であるとも知らずに歩いていて、突然この石畳を見たら、さぞ、ほっとすることだろう。「ここが、正しい道なのだ。先人たちも歩いた道なのだ」と。先人が敷いてくれた道筋の上を行けばよい、という安心感。「そのまま行けばいいんだよ」と話しかける先人たちの声と、対話するような思いで歩く。

 高原集落の手前の、階段状の急な登りの連続はきつい。一段ずつ登ると途中でへこたれるので、まず数分間の休憩をとり、その後、覚悟を決めて一気に、何も考えず登る。

 思えば、昔の上皇や貴族の参詣は大集団。疲れを感じても、私のように自分のペースで止まったり、休んだりはできなかったろう。

 熊野三山の力という、人知を超えたものに導かれての旅なのに、その道中でも人間集団のシステムに縛られるとは、おかしくも悲しい。

 現代の私は、縛られることなく、気ままに、ただ古道そのものと向き合いながら歩くことができる。

 高原熊野神社は、いっぱいの薮(やぶ)椿の花に飾られていた。社殿にも、朱をはじめ青、黄、緑色でカラフルな模様が描かれて、小さいながら華やかだ。

 境内の大きな樟(くす)は、大きいだけでなく何とも奔放な樹形で、伸びたい方へのびのびと手足を伸ばしたようだ。いかめしさはまるで感じない。

 近づくと、あの独特の香り。すがすがしさの中に辛味と甘味が同居する。この木の香りが大好きだ。頭上高く、細かい葉がさざめいている。

 高原集落からは展望が開けて、なだらかな、そして深い山々の連なりが正面に見える。やさしい山容に、春の夕日が当たって、いっそうやわらかい。

 鳥たちが鳴く。日没が近づく。今夜は高原泊。古道歩きの初日は、何とか無事に終えられそうだ。


《生きていれば躯(からだ)おのずと匂うもの春をきらめく樟(くす)の体臭》




人の手が加わった石畳の道に張り詰めた気持ちがゆるむ

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